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農林海洋科学部に受け継がれてきた文脈〔4985〕2016/12/08

農林海洋科学部に受け継がれてきた文脈

2016年12月8日(木)晴れ!

良いお天気。空気が透き通る。

ここは、会社から徒歩20分、高知大学農林海洋科学部。う〜ん。長い。まあ、所謂、高知大学農学部。今年の春に学部再編が行われ、こんな名前になりました。
「高知大学農学部」ができたのは、昭和24年5月。国立学校設置法という法律に基づいて設立されました。爾来、高知大学農学部は、高知大学という大学の中でも、とても重要な役割を果たしてきました。

ここに高知大学農学部ができるまで、紆余曲折があったのはご承知の通り。
元々、この場所は、優良農地が拡がる物部川の扇状地。そこに、大日本帝國海軍が航空隊を作ろうと計画したのは、昭和16年初めの頃。広大な農地は接収され、飛行場が建設され、高知海軍航空隊が置かれることになった。開隊は、昭和19年3月のこと。
ここで訓練されるのは、偵察要員でした。二人乗り練習機「白菊」で、訓練を繰り返す。しかし戦況が悪化し、特攻が始まると、白菊で訓練したここの兵隊さんも、特攻に駆り出されて尊く若い命を南の海に散らしていった、という話は以前にも書きました

そして、終戦。
部隊は解散となる。そして、その航空隊の跡地をどうするかが、問題となる。地元の人々は、元の農地に戻してほしいと懇願しましたが、結局、飛行場は民間機の飛行場、日章飛行場に、基地施設の北半分は高知大学農学部に、南東部分が国立高知高専に、ということになったのでありました。南側の用地、誘導路だけは、農民に戻されて農地に。
今の高知空港は、海軍高知航空隊の滑走路部分が中心になっています。

航空隊の、当時の配置図はこんな感じ
その跡地に設立された高知大学農学部の、現在のキャンパスマップは、こんな感じ。こうやって見てみると、航空隊基地の文脈をそのまま受け継いでいることが、よくわかる。敷地の形状が同じなのはもちろん、建物の配置も似てます。

航空隊の施設の中で、一番階級が高い士官が仕事する場所。それが第一士官室で、その場所は、この左手の農林海洋科学部1号館、つまり、農学部の本部機能がある建物の場所にありました。
朝倉の、高知大学朝倉キャンパスには大学本部の建物がありますが、その場所は、陸軍第44連隊の連隊本部の建物があった、場所。
時が流れ、全然違う施設に変わっていっても、その歴史文脈は意外なほど踏襲されていく、ということがわかります。

この左手の農林海洋科学部1号館は、第一士官室の文脈を、受け継いでいると言えましょう。

この写真の真ん中の大きな植え込み。
航空隊の配置図を見ても、ここに植え込みが見えます。これもやはり、受け継がれた文脈
その植え込みに枝を広げるクスノキ。クスノキの前に、小さな標柱が立っています。正面に「天皇陛下お手蒔きの楠」と刻まれ、側面に「昭和二十五年三月二十四日」とある。
大学のホームページに、そのゆかりが書いてありました。
昭和25年3月24日、昭和天皇が四国巡行の際にここに立ち寄り、クスノキの種を蒔いたのでありますね。66年経過し、こんなに大きくなりました。

戦争の重要な施設であった、この場所。特攻機と特攻兵を多く送り出した、この場所が、若者の教育の拠点になり、天皇陛下がその場所を訪れてクスノキの種を蒔く。
これからの日本は、一生懸命学んだ若者によってつくられていくんだ、という思いを、その種に込めたのでしょうか。

大きく育ったクスノキ。これからどうしていくのか、どのような姿にしていくのかは、これからの若者達に、委ねられている。


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