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切戸、太平洋、大洪水、大津波〔4912〕2016/09/26

切戸、太平洋、大洪水、大津波

2016年9月26日(月)降ったり止んだり

へんてこりんなお天気。時折ガイに降ったかと思うと、雲間から青空が見えたり。そろそろスカッと晴れてもらいたいもんだ。

ここは南国市前浜。雨が降る中、お日様が海から昇ってくる。なんか不思議な光景になっちょったので、撮影してみました。反対方向、西方向には虹が。
左端に写る建物は、放水路の管理棟。そう。ここは後川の放水路、切戸。きれど。その昔、物部川の河口であったとも言われる切戸が、ここ。

かつての物部川は、色んなところを様々に流れた歴史を持ちます。地理院地図の治水地形分類図を見ると、そんな歴史がよくわかる。弥生時代の田村遺跡は、そんな流路と流路の間の自然堤防上に、展開されました。
時代は下って平安時代。紀貫之が、土佐から京へと帰る途中に立ち寄ったのが大湊。その当時はここから砂丘の北側の後背湿地に船が出入りし、立派な港になっていた。そんなことも、治水地形分類図でわかります。

いつしか物部川の河口は東へと移り、現在の場所へ。川が運んでくる土砂などが海岸に堆積し、この場所は砂で埋まってしまいました。西から流れてくる後川は、砂丘の北側を東進し、現在の物部川河口部へ。

文化12年(1815年)。今から200年ほど、前。江戸時代期間中でも最大規模の、物部川の氾濫があったと言います。俗に「亥の大変」と呼ばれた大洪水。物部川の流路は概ね現在の流れになっちょりましたが、山田堰より下流の堤防はほとんどが決壊。西は五台山まで浸水したと言いますき、凄まじい。
その流れは、琴平山に突き当たって再び逆流し、東進。その際、すでに砂で埋まって久しいこの旧河口部が再び口を開き、ここから太平洋に流れ出した、と言います。幅200mほど、開口しました。
なので、ここが「切戸」と呼ばれるようになった、と。

「切戸」が切れたお陰で、砂丘北部の低湿地の浸水は、少しは緩和されたでしょうか。

その後再び、切戸は砂で埋まった。
後川は、勾配がほとんど無い川で、後背湿地を流れている。流れ込む物部川河口部も、砂が堆積して閉塞しやすい。そんな訳で、ちょっとの雨で長期浸水してしまう。
そこで、「切戸」から再び後川の水を太平洋へ流そう!という試みが、昭和9年に行われたのでありますね。暗渠放水路。長さ190mの暗渠放水路を後川から太平洋につないだのでありました。
もちろんしゅっと砂に埋まってしまう場所なので、しばしば砂を排除する作業をせんといかんかったものの、一定、効果があったと言います。

で、戦後。
他の場所にも放水路が作られたりした後、昭和58年、切戸に立派な放水路が完成。今も活躍する放水路は、前浜の砂丘北部を浸水から守る役割を果たしている。

ちなみに、江戸時代を通じ、この界隈で特に語り継がれている「大変」が、2回。
一度目が、上に書いた文化12年の物部川大洪水「亥の大変」。2度目が、1854年の安政南海地震。その年は「甲寅」の年なので、「寅の大変」と呼ばれた、安政南海地震の大津波。
大洪水と、大津波。

物部川の大洪水も、南海地震の大津波も、一旦起きてしまうと逃げるしか、ない。この不思議な風景を見ながら、気を引き締めたことでした。


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