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天満宮と筆山と報徳学校〔4887〕2016/09/01

天満宮と筆山と報徳学校

2016年9月1日(水)晴れ!

そうか。もう、9月なのか。朝晩涼しいのは、9月だからなのか。夏はあっという間に過ぎてゆく。今日、宿題を抱えて登校する、なんか嬉しそうな小学生たちを見て、懐かしいような、ウキウキするような、そんな気分になりました。今日から新学期。

ここは今朝の潮江天満宮さん。本殿の西側。小山があって、大山祇神社さんと磐座が鎮座まします小山の山頂。そこへ登っていくところは、こんなになっちょります。上に見える社殿が、大山祇神社さん。右下の明るい部分の向こうが、土佐道路へとつながる筆山の山裾の道路。
潮江天満宮や、この小山と筆山の間を通り抜ける大きな道路。

この道路、いつ頃からあるのか。一昨日の考察で、昭和8年には、もう道路が通っていたことが確認されました。この地図ね
大正10年頃の地図を見てみても、やっぱし、潮江天満宮さんの北側に道路。

遡って、明治30年刊の「土佐國高知市街図」を見てみると。おう。筆山は天満宮の部分で北に突き出し、天満宮や真如寺は、筆山の山裾に、ある。山裾。筆山との間に道路はない。これだ。
道は、天満宮の北側を通り、河ノ瀬方面へ。
明治の終わり頃まで、天満宮は筆山の山裾にあり、筆山との間に道はなかった。この写真の部分は、筆山から突き出した尾根であった。そんな風景が、地図から見えてくる。
と、すると、この小山と磐座の宗教的位置付けも、古い古い時代からのものであることが想像できてくるではありませんか。

遡って、明治11年に河田小龍さんが描いた「高知市街全図」でも、天満宮や真如時さんが筆山の山裾に描かれ、道はその北側。
その道を少し西へ行くと、筆山の小高い場所に「セウメウジアト」。そう。そこに、今は枡形にございます「称名寺」さんがあったことを示してくれています。

現在の堺町にあった称名寺さんが、藩政期の早い段階に火事で焼け、筆山に移ってきて、そして枡形へ、という歴史があります。
その場所、大正10年の「高知市街図」では、「報徳学校」となっている。
「報徳学校」。

調べてみました。
現在も存在する、高知慈善協会さんが運営する施設で、今は希望が丘学園になっちょります。県のホームページによりますれば、その業務内容は「不良行為をし、又はするおそれのある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する児童を入所させ、又は保護者の下から通わせて、個々の児童の状況に応じて必要な指導を行い、その自立を支援することに関する事務。」とのこと。

報徳学校の頃からそうだったのかどうかは知りませんが、まあ、そういった施設。

すごいですね、この高知慈善協会。
明治16年、藩政期から残っていた堕胎圧殺の弊風を矯正する目的で設立、とある。貧困児の居宅保護を始め、免囚保護施設や、報徳学校を設立。受刑者の子供の保護教育施設「博愛園」も高知慈善協会がつくったものか。精神薄弱児施設や、母子寮、養護施設などなどをつくって、社会的弱者に温かい手を差し伸べてきた、高知慈善協会。
保育園もいくつも開設しちょりますな。
その中の一つに、潮江第二双葉園というのが、あった。
おう。20年近く前、うちのJr.1号が一時期通うた保育園ではないか。懐かしい。

報徳学校は、昭和9年に高知県に委譲され、鏡川学園となった、と、ある。
昭和24年の市街図を見ると、確かに、鏡川学園。
その場所は、今は変電所になっています。


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