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播磨屋のルーツ〔4878〕2016/08/23

播磨屋のルーツ

2016年8月23日(火)晴れ!

台風9号は、各地に被害をもたらしながら北上しています。今年の台風は、このコースばっかしですね。
埼玉県、所沢在住の友人のFacebookに、ご自宅前の道路の冠水状況が紹介されておりました。大雨のようです。心よりお見舞い申し上げます。
それによりますれば、所沢という地名の由来は「野老(トコロ)が群生する湿地帯」なんだそう。なるほど。地名には、その土地の歴史や有り様が示されちゅう場合があって、興味深い。
家を立てるなら、その土地の古い地名を調べてみるのも、良いかも知れません。

で、その所沢の友人の家は、まさに、野老が群生しちょった場所界隈なのにかありません。なので、治水対策工事をやっても、今回のような大雨になると冠水してしまう。
ところで、関東の地質、地層を見てみると、所沢には所沢台という台地があるんですね。下末吉台地なので、名古屋城なんかと一緒か。
地理院地図で見てみると、標高は70数メートルくらい。現在の所沢駅も、その台地上に、ある。
その台地を開削するように河川が流れ、その河川に沿った辺りが湿地帯になるんでありましょう。

武蔵野台地上には、気づかないような起伏、窪地があるそうです。で、雨水は、そこに溜まってしまう。表面を覆う関東ローム層の下に、難透水層があって、それが水はけを悪くしている場合がある、と言いますので、野老の沢も、そんな場所だったのかも知れません。

ただ、関東ローム層など、水を透しやすい層は基本的に厚く、井戸は、かなり深く掘らないといけないのが、この地域の特徴。以前に一度触れた、羽村のまいまいず井戸のように。
昭和10年に所沢町営水道ができるまでの所沢は、井戸を深く深く掘らねばならず、そこから水を汲み上げるのも大変。井戸汲み仕事は大変、ということで、「所沢には嫁にやるな」といわれた話が残ります。そんな、所沢にも、湿地帯がありました。野老の沢、所沢。

地名の由来と言えば、はりまや橋。
写真は、今朝、4時過ぎのはりまや橋交差点。交差点の南側から北向けに撮影してみました。左手にお菓子の浜幸さんの本店があり、その向こうがはりまや橋。かつて、下を堀川が流れていた、はりまや橋。
まあ、豪商播磨屋と、豪商櫃屋の間の堀川に架けられた私設の橋が、播磨屋にちなんで「はりまや橋」と呼ばれるようになったことはご存知ですよね。有名なのは播磨屋宗徳、櫃屋道清。
藩政期、城下は町奉行の支配下に置かれ、その下には自治組織が置かれておりました。小さな政府、という訳だ。
その町方の自治を束ねたのが「総年寄」で、「播磨屋」「櫃屋」「平野屋」「辰巳屋」「土種屋」などの豪商から2〜3人が選ばれておった、とのこと。

この辺の話、全部、「高知県の歴史」という本を参考にしちょります。その「高知県の歴史」で、中世から戦国期の海運、貿易、といった項目を見ておりますと、浦戸湾沿岸界隈と、京、堺との交流が盛んであったことが出てきます。そこで大きな役割を演じたのが、一向宗徒である、と。
浦戸湾沿岸やその一帯には、多くの一向宗門徒の商人、職人が進出して、たくさんの寺院もつくられた。で、天正16年(1588年)に、紀州雑賀門徒の櫃屋さんが、浦戸の町に住んでおったことがわかっちょります。
また、摂津飾磨の一向宗門徒、播磨屋さんも、浦戸の町に住んでいた。

播磨屋さんも櫃屋さんも、一向宗門徒として土佐にやって来て、浦戸で店を構えた。それが、藩政期になり、城下町建設の際に高知の城下の中心部に大店を構え、町方を支配するようになった、という歴史。

ここははりまや橋ですが、ルーツは播磨屋で、そのルーツは浦戸で、そのルーツは摂津飾磨の一向宗門徒であった。
朝っぱらから、かなり、ややこしい。


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