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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

台地の角地の名古屋城〔4873〕2016/08/18

台地の角地の名古屋城

2016年8月18日(木)晴れだがや

そんな訳で、今朝は名古屋。昨日の夕方、5時過ぎに高知駅を出る汽車に乗り、やって来ました。名古屋に着いたのは夜10時前。で、名古屋駅前のホテル泊。
今朝は、あまり時間がなかったので、久々の名古屋城界隈。名古屋へ来ることはよくありますが、近年は、熱田神宮ランとかが多くなって、名古屋城は3年ぶり。2013年5月17日に、名古屋城をたつくっちょります
その前が2007年6月13日

その間、高知と名古屋の間の航空路線が廃止されたりりた時期がありましたね〜。そんな時代もありました。今は、FDAが一日に2往復。しかも、日によっては、安い。便利になったもんだ。

それはともかく、名古屋城。
熱田神宮をご紹介するときにも幾度も書きました。更新世、ヴュルム氷期の前の最後の間氷期。今から12万年ちょっと前に、地球の気温が上昇して海水面が今より数十メートル上昇した際、浅海底に堆積した地層が、その後の海退で地上になり、形成された固い地盤。その固い地盤の台地は、日本列島の各所に形成され、日本の文明史に大きな影響を与えた、という話がご承知の通り。地学だ。地学は、歴史学につながるのである。

その、下末吉海進で形成された台地で有名なのは、東京の台地。特に、起伏の激しい麻布界隈などの地形は、固い、下末吉面が侵食されてできた地形だと言います。
武蔵野の洪積台地の東の先っぽ、防御に優れ、見晴らしの良い立地に太田道灌が城を築き、そして江戸城になる。

同じ洪積台地の上、ということで言えば、やはり大阪城。難波の方から北へ、半島のように突き出す上町台地。その台地の北の先っぽは、三方を湿地帯や川などに囲まれ、非常に防御に優れた地形だということで、石山本願寺がつくられ、大阪城がつくられた。

そして名古屋城。
地理院地図を見てみよう。こんな感じ。オレンジ色の部分が洪積台地。下末吉面。河川による侵食で、面白い形状になってしまった台地。
その台地の北西端。直角に侵食された角地。そこに構築されたのが、名古屋城でございます。
16世紀前半に今川氏が出城を築いたのが始まりとされます。尾張を攻略するのに、絶好の立地ですね。で、1532年に織田信秀が今川氏より城を奪い、那古野城と名付ける。

色々あって、信長の世になり、信長は清洲を本拠とするようになりました。こないだご紹介した清洲の城。交通の要衝。信長の、攻撃的な考えで言えば、防御に優れた場所よりも、攻撃に都合の良い交通の要衝が選ばれなのでありましょうかね。僕の勝手な想像ですが。

で、徳川の世になり、家康は、9男義直の居城として名古屋城を構築することに決めました。広大で肥沃な濃尾平野を支配するには、やはり、洪積台地の先っぽの方が都合が良かったのでしょう。
日本史最大の土木プランナー、徳川家康のすることに、間違いはありません。

ところで、今一度、地理院地図の土地条件図をご覧ください。名古屋城からまっすぐ南へ伸びる洪積台地の南の端っこ。その、南端、先っぽに鎮座ましますのが、熱田神宮。
昔から、重要な施設は、地形を最大限に活用するように考えられ、建てらててきたことが、この土地条件図でよくわかります。
やはり、地学は、歴史につながるのであります。


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