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濱口雄幸遭難現場〔4859〕2016/08/04

濱口雄幸遭難現場

2016年8月4日(木)晴れ!

暑いですな、東京も。
昨日の夜の飛行機でやって来ました。東京。業界の寄り合い。

で、泊まっちょったのは、天王洲アイル駅近くのホテル。今朝は、いつものように、築地ランをしようかとも思いました。しかし、築地まで走ってホルモン丼を食べると、帰りは電車になる。この気候で、築地まで走ると、身体やウェアは汗みどろ。臭い。その格好で、朝の通勤電車に乗るのはね。ちょっとね。大人の分別で自制しまして、ホテルを出てホテルへ戻って来るランにしたのでありました。えらい。

今朝は5時過ぎから品川宿界隈。いや〜、歴史や地形を堪能できた楽しい、朝。
まずは第一京浜へ出て南下。京浜急行鮫洲駅の西側。洪積台地の上にある山内容堂侯の墓所を久々にお参り。土佐藩の下屋敷、通称鮫洲抱屋敷が、その海沿いにあったのはご承知の通り。鮫洲駅の一つ南、立会川駅の近くには龍馬像。若き龍馬が、そこに土佐藩が構築した砲台で警備任務についた、などということから、立会川は、龍馬による町おこしをやっておるんでありますね。

2009年8月、まだ龍馬伝をやる前、龍馬像が、海沿いにぞんざいな扱いで置かれ、トラロープで固定されちょったのを思い出します。発泡スチロールの。
そんなんぢゃあいかん、ということで、今は立派なブロンズ像。地元の皆さんが頑張りました。

そんな土佐藩の香りを楽しみながら、旧東海道を品川宿へ。
品川宿。
藩政期、江戸で遊女を置くことが公認されたのは、もちろん吉原だけ。しかしそんなものでは、治安は維持できない、ということで、飯盛女ということで女性を置くことが公認されたのが、品川宿やら内藤新宿やら。品川に赤線が残っちょったのは、昭和32年まで。フランキー堺の「幕末太陽傳」に出てきますが、今は、何の痕跡も残らない。あの映画、また見て見たいぞ。

そんな旧東海道を北上し、品川駅界隈をたつくって、天王洲アイルへ。汗ビショ。電車に乗らいで良かった良かった。

写真は、そんな朝ランとは関係なく、東京駅。東京駅の中央通路から、新幹線の改札へ行く階段の下。寄り合いへ向かう途中、撮影してみました。
左下の地面に、菱形のマークがある。これ、昭和5年11月14日に、濱口雄幸首相が、右翼の青年にピストルで撃たれた場所であることを示すもの。これが原因で、命を落とすことになった矜持の人。濱口雄幸。こないだ、NHKBSプレミアムで取り上げられました。今の時代に欲しい、矜持の、人。

実は、正確に言うと、この場所が襲撃現場では、ない。
撃たれたのは、特急「つばめ」に乗るプラットホーム。その後駅の改築工事とかがあって、階段の踊り場になったりしたので、襲撃現場直下のここに、そのプレートが置かれることになった、と言います。襲撃現場は、この真上。

そう思いながら、向こうを見てみると、東海道線のプラットホームへ上がっていく階段が見えるではないか。そうか。今も、この真上が東海道線のホームなのか。
東京駅は改築され、たくさんの新しい路線が乗り入れ、大きくなってきた。しかし、東海道線のホームは、昔も今も、この真上のあるのか。
変わるもの。変わらないもの。

風景や建物が劇的に変わっていっても、意外に、変わらないものがあったりする。

濱口雄幸さんは、右翼に非国民と蔑まれながら、誰よりも日本の将来を考えた矜持の人。変化は大事だが、時代の空気に流される、ポピュリズムに流されることの危険さを知っていた、濱口雄幸さんの遭難現場は、今も、東海道線ホームにある。


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