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真田丸と抜穴と陸の孤島〔4666〕2016/01/24

真田丸と抜穴と陸の孤島

2016年1月24日(日)天気は不明

そんな訳で今朝は大阪。昨夜は、お客様が経営される心斎橋のとんでもなく美味しい中華をごちそうになっておりました。もう、お腹いっぱい。ごちそうさまでした。

で、今朝は4時に起き出して、真田丸ラン。
そう。NHK大河ドラマは、今年は真田丸。なんか、久々に期待が持てる展開となっちょりますね。いや、なかなか、面白い。

昨日のにっこりに、戦国武将と地政学について書きました。戦国武将は、実に地形を利用することに長けている。しかも、大胆な発想の土木工事をいとも簡単にやってのける。今から考えても、すごい。
真田幸村が、大阪冬の陣で構築して、徳川側に大打撃を与えたという真田丸も、まさしくそんな戦国期地形利用大土木工事の一つでありましょう。今朝は、その、自然地形と真田丸を走って堪能してきたのであります。

まず、おさらい。
大阪城。このにっこりではビッシリ書いてきました。南から北へと突き出した洪積台地、上町台地の、北端の先っぽにつくられたお城。石山本願寺の跡地。
石山本願寺が、信長の攻撃に耐え続けれた理由は、まさにその地形にありました。台地の上で、北と東と南は、谷。唯一南側だけが、台地の尾根でつながる、という地形。谷の部分は湿地帯で、実に攻めにくいお城であったのはご承知の通り。

真田幸村という名前は、江戸時代になって講談などで語られるようになってから使われるようになった名前で、正しくは真田信繁。関ヶ原に敗れて配流されていた紀州九度山を脱出、大阪城に駆けつけてきたのは慶長19年(1614年)。
で、大阪城の弱点、南側の尾根に続く部分に、後世真田丸と呼ばれる出城を構築し、見事な戦略で徳川軍に大打撃を与える。この戦で、名将としての真田信繁の名が確立した訳だ。

その真田丸は、冬の陣の後、幕府によって破壊。その痕跡をとどめない、とも言われますが、今の真田山公園とか三光神社とかの界隈であり、その自然地形は今もかなりの部分で残っちょります。

走ってわかったこと。
予想以上に起伏に富んだ地形。単純な台地構造ではなくて、かなりクネクネしちゅう。大阪城の界隈と真田丸の間には、少し低くなった部分があって、独立した出城みないになっちゅうのが真田丸。

真田丸があったと思われる場所の北東端辺り。そこに、今は三光神社さんが鎮座。台地の端っこの神社で、台地の下から上る急坂が参道になっちゅう、という、よくある構造だ。
その神社の斜面で撮影したのがこの写真。この右手の石段を上がると三光神社。小生に丁度隠れちゅうのが真田信繁像。そして、左手の四角い石組み。
「史跡 真田の抜穴跡」と刻まれた標柱が立ちます。
そう。大阪城と真田丸(1.5kmくらいは、ある)の間を結ぶ秘密の抜穴、という伝説があるんですね。まあ、伝説。確認した人は、居ないようです。そうであったら面白い、という伝説。

しかし、江戸時代って、結構面白いですよね。
時の権力者、徳川家に果敢に戦いを挑んで、大打撃をくらわせた武将が、庶民の英雄になって芝居や講談で人気を博す。それを積極的に取り締まる訳でもない、幕府。
世界的に見ても、これは面白い。なかなか自由な雰囲気だ。余裕があるんですね、為政者に。大切なことやと思います。

さて。
日曜日やと言うのに、何故こんな早い時間の走っているのかと申しますと、早い飛行機で帰ろう、という判断から。
と、申しますのも、どうやら高知は雪らしい。しかも山間部は大雪で、道路は国道も高速も、全部止まっちゅう。これは鉄道も止まるな、ということで、帰るなら山を飛び越す飛行機だ。それも早い方が良い、ということで、7:20伊丹発に乗ることにした訳です。
で、泊まっちょった上本町から、空港バス。

ああ。
空港バスで伊丹に着いてみると。ああ。飛行機、欠航ではないか!
何故?
お天気?
理由を見てみると機材調整などと書いちゅうではないか。

今日の高知は、県外と行き来するのに飛行機しか手段がない、ということをわかっちゅうがでしょうか!
ああ。

そんな訳で、今、振替になった10:20発の2便目を待ちながら、伊丹空港でたたずんでおるのであります。ああ。
案の定、土讃線は雪で不通になったので、高知は、今、陸の孤島。


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