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梶ヶ森、加持ヶ峰、仏岳山〔4653〕2016/01/11

梶ヶ森、加持ヶ峰、仏岳山

2016年1月11日(月)薄曇り

昨日、大田口駅前の大豊町立総合ふれあいセンター玄関には大きく「成人式」と書かれた看板が立っておりました。午前中に開催されたんでしょうか、その時間は、ひっそりと静まりかえっちょりました。

あの総合ふれあいセンターには、思い出があります。もう、8年も前になるのか。2008年2月9日のことでした。
あの日の大田口駅前は、一面、雪景色。そんな雪の中、200名ものお客さんを集めて行われた「大豊 山と神々のくらしを語る」という講演会。その講演会の主人公は、一昨年の1月に亡くなられた直木賞作家、坂東眞砂子さん。大豊に伝わる犬神憑きを題材にした「鬼神の狂乱」という本が出版されたのに合わせての記念講演会。
坂東さんのご意向で、講演ではなくて鼎談という形式になり、高知県立歴史民族資料館の梅野学芸員と共に、小生が鼎談相手に指名されてしまい、あのふれあいセンターで、色々と喋ってしもうたのでありますね。

坂東さん亡き今となっては、本当に懐かしい思い出。あの雪景色とともに思い出します。

ところで。
梶ヶ森。以前、梶ヶ森は加持ヶ森で、宗教の山である、という話を書いたことがあります。定福寺さんのホームページにはこう書かれちょります。

加持ヶ峰(梶ヶ森)1,400m
この山は、仏岳山とも呼ばれており、その昔弘法大師が鬼神を解脱し、人法詔隆の誓いを霊石で残された霊場であるとの謂れが残る山である。その為、修験の道場とされ、その名残の鎖場が残る。

偶然ではありますが、ここに「鬼神」という言葉が出てきて、ちょっと、ドキッとしました。
この、滝や岩場や神秘的な場所が溢れる山は、昔から修験の道場、修験の山として、尊崇されてきたのであります。
その山の有り様は、高知県人にとって親しみ深いものとなり、昭和7年、高知日日新聞主催の高知県内名勝地投票で、堂々の第一位となっちょります。

同級生のS君の話では、昭和30年〜40年代の登山ブームの頃、豊永駅に汽車が着くと、佐賀山へと向かう道、つまり、昨日小生が歩いたルートには、大勢の登山客が先を争うように歩いておった、とのこと。
今は、昨日、登山中に誰一人合わなかったように、静かな静かな梶ヶ森。それもまた、良し。
良い山です。

手元に、参謀本部陸軍部測量局が明治20年頃に作成した20万分の1の地図があります。まだ、鉄道や道路が近代的に整備される前の日本の姿を正確に写したものとして、貴重な貴重な地図。
その地図の、梶ヶ森界隈の部分を撮影してみました。横書きは、右から読みますきんね。

豊永駅の辺りは「下ノ土居」ですな。街道は、吉野川北岸の、今の国道よりずっと高い場所を通っております。
怒田は、凡例によると500人以上の集落。周囲から抜きん出た大きい集落だ。八畝、南大王は、今と同じ場所に見えます。大田口の駅は「黒石」。昨日下ってきた庵谷も見えます。

で、肝心の梶ヶ森。南大王の左の山。
う〜ん。
ヶ森、は、わかる。その右側。これは何と書いてあるんだ?
上に書いたように、この山は、梶ヶ森、加持ヶ峰、仏岳山などと呼ばれておったことは判っちゅうのですが。これは、かじ、とか、梶、とか書かれちゅうんでしょうかね。謎だ。

この地図を見ておって思うこと。
当時の人々は、深い山中を、縦横無尽に歩いていた。奥の奥まで人々が住み、山を越え、谷を渡って人々が行き来していた風景。今よりも、ずっと、山の中の交流人口は多かった。そんなことを教えてくれる、貴重な地図。


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