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高知城と筆山と山内家〔4644〕2016/01/02

高知城と筆山と山内家

2016年1月2日(土)晴れ

正月2日目。あたたかいお正月。
今朝は、走り初め。と、申しましても、7kmくらいにしちょきました。今年は、例年の1月2日と違うスケジュールになっちょりまして、時間が無いなってしまいました。にっこりも書いちょかんといけませんし。酔っぱろうたら、へんてこりんなこと書いてしまいますきんね。

今朝、ランの途中、潮江天満宮さんに初詣。
昨日の元旦、上岡八幡宮さんに初詣し、お昼には高知大神宮さんに初詣しちょりますので、新年3度目の初詣。まだ早朝、暗い時間の潮江天満宮さんは、時折訪れる初詣客がちらほらで、静かなたたずまい。まだ、露店は全部閉まったまま。
拝殿前の警備のおじさんが、「あけましておめでとうございます」と挨拶してくれました。嬉しかったです。

で、鏡川河畔を走っちょいて、筆山。一気に、上の駐車場まで駆け上がってみました。ただ一人、竹刀を振りつづけるおじいさんが居るだけ。
そこから、ズームで高知城を撮影したのが、この写真。
美しい均整のとれた天守。その手前に本丸御殿(正殿)。その左が納戸蔵で、左端に黒鉄門。

天守は、外観は四重五階で、内部は三層六階。礎石からてっぺんまでが18.5m。藩政期のお城の天守閣としては小振りですが、その均整の取れた美しさは、誇るべきもの。
本丸御殿(正殿)は、立派な入母屋造り。

あの高知城が着工されたのは慶長6年。関ヶ原の翌年の1601年。で、本丸はその二年後の1603年に完成しますが、全部完成したのは慶長16年。1611年。
その天守閣などが残っちょったら、高知城は今も国宝なんでしょうが、残念なことに享保12年(1727年)に追手門などの一部以外、全焼という火災に遭いました。で、厳しい財政の中で天守閣が再建されたのが寛延2年(1749年)。
昭和9年には一度国宝に指定されちょりますが、戦後の文化財保護法では重要文化財、ということになってしまい、国宝ではなくなった、高知城。

この写真を撮った筆山には、あの高知城の主、山内家の歴代藩主墓所があるのはご承知の通り。
江戸時代、最後の土佐藩主は、ご承知の通り16代藩主山内豊範侯。
で、明治になって廃藩置県。侯爵になった山内の殿様。
その、殿様直系の侯爵家は、現在19代目の山内豊功さんに受け継がれちょります。とよことさん。土佐山内家19代ご当主、ということになる訳だ。
そのお父上は、18代ご当主、豊秋さんでした。

実は豊秋さんは、16代藩主豊範さんの次男、豊静さんの次男。次男の次男なんですね。
豊範さんの長男、豊景さんが17代当主となられ、侯爵家を継いだ際、次男の豊静さんが男爵山内家を起こした、ということになる。しかし、17代当主豊景さんに男子がなく、弟の豊静さんの次男、豊秋くんを養子に迎えて、侯爵家を継がせた、ということ。
で、豊静さんの長男、豊春さんは、そのまま男爵家を襲うちょります。
ついてきよりますか?

長男豊春さんは、男爵家。
次男豊秋さんは、侯爵家の養子になって、18代目ご当主。

豊秋さんは、2003年に亡くなっちょります。そのお墓は、山内家歴代ご当主が眠る筆山の墓所に。

実は、今まで筆山をたつくりよって、登山道の脇に「山内豊春」さんというお墓があるのは存じ上げちょりました。
実に、質素で、素朴な、そんなに大きくないお墓。普通の、お墓。

今朝も、そのお墓の横を走ってきました。
土佐山内家18代当主、山内豊秋さんの実兄、豊春さんは、登山道脇の小さな墓所で、普通の墓石の下に眠っておられる。

豊秋さんは、実に立派な人物で、小生も1〜2度、お話したことがあります。
豊春さんは、まったく面識ないですが、墓所などから、そのお人柄を感じてしまいました。


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