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水辺の芸能空間〔4599〕2015/11/18

水辺の芸能空間

2015年11月18日(水)小雨

今朝も暖かい朝。ただ、今日は20℃までしか上がらん予報になっちょります。まあ、この季節、20℃まで上がれば上等ですが。

昨日、松渕川公園で、水辺の演劇空間について書きました。今は無き、水辺の演劇空間、高知座、堀詰座。
それでは現在の演劇空間はどうなっちゅうのか。演劇は、大衆の娯楽の中心の座から降りて久しい。しかし、今も様々な演劇や舞台芸術が創造され、各所で演じられています。
今、高知での演劇空間と言えば、まずはここでしょうか。高知市文化施設かるぽーと。ここには大ホールや小ホール、その他いろんな部屋があって、様々な舞台芸術の取り組みが行われている。
ここはもちろん、堀川に沿う、水辺の空間。

もうひとつ。県立美術館ホール。ここも実に意欲的に、様々な舞台芸術の上演を行っております。国分川沿いの、水辺の空間。

どちらも、企画力がすごいですね。かなりトンがったものから意欲作、問題作まで、様々なジャンルの取り組みを呼んできて、上演する。そんな企画力が、双方、優れちゅうがやと思います。

水辺と演劇空間。

河原者。河原乞食。
信じられないことに、今でも、芸能に携わる人々のことを河原乞食などと呼んで蔑む、悲しい人がたまに居たりする。ネットで発見して、びっくりすることがあります。
元々、河原には「無縁」の世界が広がり、世俗権力とは離れた独特の自由な空間が形成されちょったと言います。そこで発展したのが、演劇などの様々な芸能。この有り様は、中世から江戸時代になっても、姿を変えて継承されていったのでありました。

江戸時代初期は、日本橋川の川沿いに、女歌舞伎、傀儡、軽業、揚弓、湯女のいる湯屋などがひしめく歓楽街が自然に形成されていった。
明暦の大火(1657年)をきっかけに、江戸の大々的な改造が行われ、日本橋界隈は水運の商家、蔵などが並ぶ街として整備されました。で、隅田川などに架かる橋のたもとには、明暦の大火を教訓とした、火除け地としての広い広場「広小路」がつくられるようになった。
権力の中心部から少し離れた、水辺の広い空間。
江戸市民の心に刷り込まれたDNAは、そんな場所に自然発生的に見世物小屋などを集積させ、「無縁」の「解放区」のような空間、権力に管理されていない自由な空間を演出していった、とも考えられるのであります。

両国橋の袂の広小路は特に有名。江戸東京博物館へ行ったことある方は、ご覧になったことがあると思います。広小路にひしめく夥しい芝居小屋の数々と、猥雑な、迷路のような空間のジオラマ。
権力者が、単なる火除け地としてつくった広い水辺空間に、人々が自然発生的につくりあげた「都市」。
人々にとって、そこへ遊びにいくことが、即ち、日常の生活を忘れることができる世界「非日常空間」へ行くことであったのか。

ヨーロッパの都市の広場が、為政者によって人工的につくられた中央広場であり、猥雑な空間にはなり得なかったのとは対照的な、江戸の風景。これは、古代から中世、水辺空間を「無縁」で権力から離れた「自由空間」、「遊興空間」として捉えてきた日本人のDNAが継承されたものである、と言えるのかも知れない。

今はもう、あの、江戸東京博物館のジオラマの様な世界は、どこかへ行ってしまいました。
ただ、こういった文化芸術施設を、このように水辺につくることが多いのは、日本人のDNAによるものなのかも知れない、と考えるのは妄想が過ぎるでしょうか。

ともかくも、現代の東京で小綺麗な盛り場に遊びに行く人たちよりも、あの、ジオラマの世界へ遊びに行った江戸の庶民の方が、遥かにずっと高揚感を持ち、娯楽を楽しみきっていたのは、間違いないのではないか。ちょっと、羨ましい。あの芝居小屋と雑踏を掻き分けて、贔屓の役者の芝居を楽しみ、一晩遊んでみたかった。


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