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豆腐屋の安定と武士の不安定〔4550〕2015/09/30

豆腐屋の安定と武士の不安定

2015年9月30日(水)晴れ

今日は雲が多いという予報ですが、まだ晴れちょります。気温は低め。もう、明日から10月ですきんね。季節は、もう、秋。

写真は、今朝、4時半過ぎの鏡川。天神橋の上から東の方向を撮影しました。少し露出を調整しちゅうので、南岸のホテルの灯りが眩しい眩しい。川面にカラフルな光の筋。向こうに潮江橋、その向こうにトップワン四国。
その右上。ひときわ明るく輝く星が木星。木星から上へ少し行くと、上下に二つ、星が並びます。下側のやや赤っぽい星が、火星。上の白っぽい星は、しし座のレグルス。もう、しし座か。
そう言えば、この時間帯、冬の大三角形は南の空高くに輝きよります。
レグルスはしし座のα星、つまり一番明るい星で、β星、つまり二番目の明るい星はデネボラ。レグルスは獅子の前脚の付け根くらいにあり、デネボラはお尻の方。この写真では、トップワン四国の向こう側辺りにデネボラがある筈。

デネボラと言いますと、春の大三角形を形成する星。うしかい座のアークトゥルスとおとめ座のスピカと、しし座のデネボラ。他の二つは、まだ、地平線の下。しかし、春がやって来ました。
秋来りなば、春遠からじ。

左手の川岸は唐人町。このにっこりでは、とんでもない回数ご紹介してきた、長宗我部元親朝鮮出兵の際に連行してきた人々に由来する、河畔の細長い町。藩政期初期に豆腐づくりの特権が与えられ、居住した、とされます。固い、朝鮮風の豆腐。
土手の北側は中級武士の屋敷が並ぶ武家屋敷街で、その北側には上級武士。郭中。その郭中を、洪水から守る土手が城下町建設に際して整備されますが、その土手に豆腐製造の特権を持った人々を住まわせた、というのは、土手の保守、メンテナンスの役割も、彼らに担わせるためではなかったか。そんな気がしてなりません。

寛政四年(1792年)の絵図によりますれば、ここから堀詰の南側までの間に「豆腐屋○○」と書かれた家が20軒あります。豆腐屋青平、とか、豆腐屋熊蔵、とか。他は紺屋が2軒、商売不明の「久松屋」「橋下屋」「神田屋」が見え、「津野俊迪」という個人の名前が見えるばかり。つまり、ほとんどが豆腐屋さん。
寛政と言えば、藩政期初期に豆腐商売が認められてから、200年近くが経過しようとしておる。で、以前にも書きましたが、こないだの戦争の頃まで、この唐人町には豆腐屋さんが並んでおったとも言う。三百数十年間、豆腐屋が並んだ街。それは、代々受け継がれ、引き継がれていったでしょうか。

それと対照的なのが、土手を北側へ越えた武家屋敷。土手に面した片側町なので、片町。
寛文九年(1669年)の、片町居住者は。
苗字のみいきましょう。手前(西)から
「高崎」「千屋」「渋谷」「由比」「谷崎」「関」「斉藤」「衣斐」「伊藤」。
享和元年(1801年)の、片町居住者は。
「中島」「楠目」「須田」「川上」「馬渕」「萱野」「関」「関」「前野」「遠藤」。
幕末、慶応三年(1867年)の片町居住者は。
「後藤」「仙石」「浜田」「田村」「石川」「井上」「服部」「岡」「馬渕」「日根野」。

1669年から1801年の間で、同じ苗字が残るのは「関」さんだっけ。
1801年から1867年の間では「馬渕」さんが残りますが、場所は全然違う。

武士も大変だ。藩の役人は、こと、居住、という側面で見てみれば、なかなか不安定に見えます。たぶん役職も不安定で、いつ、家が取り潰されるかわからんような不安の中で過ごしておったみたいにも見える。江戸時代というのは、意外にも、これっぱあ、家の持ち主が変わっていきよった、変化の激しい時代であったと言えるかも知れない。鎖国で変化のない、長い安定の時代、という見方は間違うちゅうにかありません。
そんな時代に、三百数十年にわたり、同じ豆腐商売が、この北岸では延々とつづけられてきた。ずっと安定しちょったみたいに見える。興味深い。


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