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ひょいと南嶺へ 晴れきっている〔4542〕2015/09/22

ひょいと南嶺へ 晴れきっている

2015年9月22日(月)秋分の日

よく晴れた秋分の日。秋晴れの青空が広がる高知。暑い中にも爽やかな、よい秋分の日になりました。

今日は、竹島町で運動会。故あって、観に行っちょりました。朝から。
とは言え、こんなに良いお天気。走らん訳には参らん。と、言う訳で、ひょいと南嶺を走りに行っちょりました。競技の合間に。

写真は、宇津野峠からちょっと上がった場所から撮影したもの。運動会の音が聞こえる聞こえる。
向こうが筆山で、眼下に運動会。わかりますでしょうか。少しズームで撮影しちょります。運動会の音、結構響き渡るんでありますな。この宇津野峠でも、何の競技をやっておるのかわかるくらい。

眼下の住宅密集地帯。かつては一面の田んぼ。しかも、塩田が多かった汽水域の湿地帯。
向こうの筆山の麓には、昔から、家々がへばりついておったにかありません。筆山の先っぽが塩屋崎。塩田で産出される塩を商う家があったという塩屋崎。

古代。
平安の頃は、この眼下は海。古浦戸湾。そこに竹島という島が浮かんでおりました。今は、島の部分の芯のみが残る竹島。竹島があった地区、ということで、今はその一帯が竹島町という町になりました。竹島町。
現在はこんな感じですが、昭和35年の竹島町に住んでいたのは、1世帯4人。世帯数が「1」で、人口が「4」。ご夫婦と、娘さん二人で暮らしていたようです。場所は、この写真の右下隅辺り。今もそこには、その「4」のうちの一人の娘さんが暮らしておられると言います。

竹島町は、このように劇的に住宅が増えて人口も増加。一面農地であった風情も、すっかりと様変わりしてしまいました。当時の様子が一番よくわかる写真はこれでしょうか。国土地理院の「地理院地図」のアーカイブ、1961年の航空写真。昭和36年
この写真の、左、真ん中よりちょっと上の四角形。そこが、今日の運動会をやりゆうグランド。田んぼの中に造成されたものであることがよくわかる。で、その四角形の右下に見える家。たぶんそこが、竹島町の「世帯数1、人口4」の場所なのではないか。

昭和35年、36年頃と言うと、ホンのこないだ。小生が生まれたのが昭和36年なので、ホンのこないだのこと。その頃、この写真に写っちゅうエリアの風景は、こんなんだった訳だ。感慨深いものがあります。

ちなみに、この1961年の写真の、中央より少し左で住宅が楕円形にできてきている場所。その真ん中に「竹島」が見えています。当時は、竹島が、昔の姿で小山のように残っておりました。

さて。
ここが古浦戸湾であった平安時代。
菅原道真公が、藤原時平の讒言によって九州太宰府へ左遷された際、その嫡男の菅原高視さんも、中央官庁から追われました。左遷されて就任したのが「土佐権守」。土佐の国司のナンバー2。その際に住んでいたとされるのが、この写真のもうちょっと左の山裾。現在の南国市国分にあった国府へは、舟で通うておったんでしょうかね。それにしても、遠い。当て職で、仕事せいでも良かったがでしょうかね。なんちゃあせいでカマンき、不穏な動きだけはせんとってくれよ、という藤原勢力の思いがあったのかも知れない。

と、そんなことを考えながら宇津野山、鷲尾山と縦走、吉野へ下り、再び峠へ駆け上がって深谷へ下って、運動会真っ盛りの、あの、竹島町のグランドに戻ってきました。
ひょいと南嶺へ。良いランでした。


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