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再び変わり始めた帯屋町2丁目〔4530〕2015/09/10

再び変わり始めた帯屋町2丁目

2015年9月10日(木)晴れ

今日は高知。昨日の最終便でモンて来ました。高知は良いお天気。今朝から、青空が広がっております。空の色は、まだ、夏。秋晴れというほどには真っ青ではない。風は爽やかですが、日差しは強い、そんな高知。

ここは高知市の中心商店街。帯屋町2丁目。最近、様変わりした帯屋町2丁目、お昼前の風景。いや〜、変わりましたね〜。

この左手にできたビル。1階と2階にスタバ。スターバックス。3階は高知銀行さんのフロアで5階には貸し会議室。ここ、このビルが建つ前は文房具屋さんでした。
右手のビルも新しく完成したばかり。1階に金高堂書店さんとコンビニ。で。2階には一汁三菜食堂さんをはじめとする商業施設、そっから上は賃貸マンション。帯屋町チェントロ、という名称でスタートしたばかりのビル。

ビルとビルの間のこの通路。その通路の向こうに、青空と時計台。追手前高校の時計台が実に美しく見える路地ですな。その右手に巨大な図書館ができる訳ですが、それが完成しても、こっから時計台をみることはできるにかありません。

この左側にあった文房具屋さんの息子、O君は、小生の、追手前小学校の同級生。ここにあった文房具屋さんの建物に住んでおりました。当時。つまり今から50年近く前、この右手のビルのところには大きな病院がありました。帯屋町界隈は、元々病院が多いエリアであった、その名残が、当時はまだ残っておったんですね。
そして向こうには追手前小学校。
住居兼文具屋の裏手から、塀の破れ目を抜けて学校の運動場へ出れるようになっちょりましたね。帯屋町の商店街にはたくさんの同級生が住み、自宅兼店舗兼倉庫みたいな家ばかりで、そこで遊ぶのが楽しかった、あの時代。

文具屋は、今では事務機器屋として発展し、高知で一番勢いのある業者になってしまいました。で、図書館ができたりチェントロができたり、という町の変容に合わせて文房具の小売をやめ、ビルを建ててスタバを誘致した、という訳だ。

今日は、そのスタバのプレオープン。明日がグランドオープン。その、スタバの家主であるO君とプレオープンのスタバで「フラペチーノ」を頼みましたが、どうやらO君、スタバは慣れてないらしく、カタカナが並ぶメニューに困惑しておりました。まあ、小生もですが。コーヒーを頼むのも塀がないので、どんなのが出てくるのかドキドキしながら、コーヒーフラペチーノというのを頼んだことでした。

帯屋町は、藩政期初期に帯屋勘助という豪商が居たことにちなむ町名。しかし、お城に近いこともあり、都市計画の中で上級武士が住む武家屋敷街となりました。それも、一区画が広い広い、立派なお屋敷が並ぶ地区。
明治維新後、その武家屋敷跡地に色んな公的施設ができたりしましたが、この2丁目界隈には病院が多く建ったのであります。商業エリアの中心は、もっと東の種崎町とかの界隈やった訳だ。
戦後、徐々に商業エリアとして発展したのが帯屋町。

小生が小学生の頃、この右手にあった大きな病院(現在のチェントロのあるマンションのオーナーは、その病院の一族さんなんですが)は、ダイエーさんのショッパーズプラザになりました。我々が「ショッパーズ」と呼びよった、商業施設。その頃が、この界隈が商店街として一番賑やかであった時代かも知れない。

時代は下り、ダイエーが撤退。長年の間「ダイエー跡地」としてそのまんまになっちょった土地。商店街側には白いフェンスが張られ、2丁目は一気に殺風景なアーケードに。

そして時代は下り、再び、町の姿が変わり始めました。
地方の中心商店街はどうあるべきか。中心部に人の賑わいが戻るには、どうすれば良いのか。何が必要なのか。

ヨーロッパでは、賑わいの都心回帰が始まって久しい。日本も、いよいよこれから都心回帰がはじまるのかも知れない。人口減少と高齢化社会の中、中心部にどんなグランドデザインを描くのか。我々世代に突きつけられた課題だ。

スタバでコーヒーフラペチーノを食べ、隣のチェントロの金高堂で本を買い、その2階の一汁三菜食堂でお昼ご飯を食べて、街中の将来に想いを馳せて参りました。


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