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普段の津波避難タワー〔4521〕2015/09/01

普段の津波避難タワー

2015年9月1日(火)降ったりやんだり

妙にほっこりせん天気が続きます。まだ、夏が終わったら困ります。もっともっと照ってもらわんとね。9月になったばっかしですき。

9月1日。92年前の今日、関東大震災が発生しました。もう、その震災の記憶を持つ人も、殆ど居なくなってしまった現在。震災の記憶を受け継ぎ、将来に残していく責務が、我々にはある。

ここは南国市南部。東日本大震災の教訓を受け、南国市の海岸に近いエリアには、14基の津波避難タワーがつくられました。その一つ、「下島浜タワー」の上から東の方向を撮影してみました。この避難タワーは、海抜6.05mの地盤の上に10.34mの高さで構築。合計しますと16.41m。国が提示した最悪想定でも大丈夫な高さにつくられちょります。
向こうにも避難タワーが見えよりますが、あれは「久枝南タワー」。この下島浜タワーも、あの久枝南タワーも、海岸にかなり近いところに立ちます。

南国市の避難タワーは、いつでも上がれるようになっております。しかし、物部川の東へ行くと、香南市の避難タワーも安芸市の避難タワーも、そしてこないだ行っちょった田野町の避難タワーも、普段は上がれんようになっちょります。
誰でも上がってしまうと、事故などの危険性があるきなんでしょうかね。階段の登り口のところにボードを立てて入れんなっちょって、「避難時は、蹴破ってください」みたいなことが書かれちょったと思います。

以前にもご紹介しましたが、中土佐町久礼の避難タワー。あの津波避難タワーは、大正市場や久礼八幡宮さんと海の間にあります。それこそ海辺の避難タワー。
町の持つ土地の制約などがあり、あそこに構築された、と聞きました。
つまり、町の人々は、海に向こうて逃げる、ということになる。これはなかなか心理的抵抗が大きい。どうするか。
と、言うことで、普段から開放し、上にはベンチなど置いてくつろげるようにして、いつも気軽に上る状況にした、と町長が話しておられました。そうやって平素から親しむことで、その、海側の避難タワーに逃げることへの抵抗を無くす、ということ。なるほど。

ここ、南国市の避難タワーの上には、ベンチこそありません。が、いつでも上がって来れるようになっちょります。
この二つのタワーのように、海沿いにあって、北側の人々は海に向こうて逃げることになる場合、普段から逃げ上がってみることが必要でしょう。そんな意味で、普段から開放しちゅうこのやり方は、理に適うちゅう、と言えましょう。

そう考えてくると、県東部各市町村の避難タワー。
どれも、普段は上れない。海に近いのも有るんですけんどね。南国市や中土佐町では開放型にして危険はないが、県東部では危険である、てなことは無いでしょう。この辺、県の方で調整し、善処してもらいたいもんだ。

あの大震災の後、巨大堤防よりも、まずが避難する施設、防災よりも減災だ、てな議論になっちょったと思いますが、なんか、最近また巨大堤防みたいなのが主流になってきちゅうみたいな気がしませんか?
それはそれで大切だが、まず、避難する場所、仕組み。
大きな土木工事をするならば、以前から書いてきたように、命山をつくってもらいたい。普段は自然の公園になっちゅう、小山。今までの歴史の中で、津波や水害からたくさんの人々を救うてきたのは命山でした。山の斜面に流れ着いて助かった者、打ち上げられて助かった舟、など。
もっともっと歴史に学びたい。

左端の向こうに、先っぽが丸く突き出した山が見えます。あの特徴的な形状は月見山。以前にもご紹介しましたが、あの月見山も、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む運動の中でできた付加帯。泥岩、枕状溶岩、赤色頁岩、チャートなどのメランジュを、南の崖に見ることができます。そういった山や地層をつくりあげてきた地球の動きが、大地震を引き起こし、大津波を発生させてきた。
そして人は、津波避難タワーをつくる。

この風景には、そんな地球と人間の営みが写り込んじょります。


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