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保育園、武田病院、NTT、合同庁舎、桜の樹〔4416〕2015/05/19

保育園、武田病院、NTT、合同庁舎、桜の樹

2015年5月19日(火)曇り

昨日の晩、こうちまち保育園の理事会がありました。高知市中心部、行政区画で言うところの高知街にある、歴史と伝統の保育園。
小生、父親の代から、この保育園を運営する社会福祉法人に関わらせて頂いちゅうがですね。町内会の関係で。

現在、保育園がある場所は、鷹匠公園のちょっと西。閑静な住宅街の中にあります。北隣に高知市役所のたかじょう庁舎。近在の町内会さんとの関係が実に良好で、一緒に避難訓練をしたり、催し物をしたりと、経常的に深いお付合いをしておられます。そんな訳で、昨今、都会では保育園が迷惑施設と言われたりするようですけんど、そんなこととは無縁。保育士さん達も、実に気持ちの良い皆さんであります。

小さい子供達を見ておりますと、ホント、嬉しゅうなります。これこそが社会の活力。以前にも一度書きましたが、かの、文化人類学者の梅棹忠男さんが、終戦直後に大陸から引き上げてくる際、その引き上げ船の甲板におびただしい「おしめ」が干してあるのを見て、何故だかわからないが、これで日本も大丈夫と思ったそうです。その直感は、間違いない。保育園の元気な子供達を見るにつけ、そんなことを思いました。

戦後間もなく、と言えば、昭和天皇が人間宣言をして、混乱と復興の中にある日本列島を巡幸しました。昭和21年から29年までの間に全国の都道府県の様々な施設を訪問したのでありますが、高知県へは昭和25年3月に来られちょります。その際、こうちまち保育園へやって来たのでありますね。今も、保育園には、その時の写真が飾ってあります。
現在のN理事長さん。なんと、その昭和天皇巡幸の際、新入の保母さんとして、こうちまち保育園で働いておったのであります。すごい。その時の話を、色々と聞かせて下さいます。昭和25年の話。

当時、こうちまち保育園は、ここにありました。
ここは、三翠園さんの北側。県民文化ホールとNTT南局の間。県の合同庁舎の南側の駐車場。この界隈に、こうちまち保育園はありました。この東のNTTの所には、県立中央病院。小生、そこで昭和36年に生まれちょります。

周囲を高い建物に取り囲まれて、保育園の環境としては少しね、ちょっとね、という状況になってきて、現在地に移設されたと言います。

さて。
この場所。戦前の市街図を見てみましょう。この駐車場からNTTにかけて、北の中島町に面して「武田病院」と見えます。そう。この界隈、病院が多いエリアでした。その中の一つ、武田病院。

昨日、高知県出身お徳島大学教授、依岡隆児先生が書かれた「四国グローカル 日本とドイツの文化交流から」という本をご紹介しました。その中の、大正末期から昭和初期に旧制高知高等学校にドイツ語教師として赴任してきたドイツ人、ゴットロープ・ボーナーさんの日記、紀行文を紹介した章のご紹介。
日本での生活を実に楽しんでおったボーナーさん一家。4歳の息子さんが、カエルに大喜びする風景などが描かれちょります。しかし、苦労もありました。
一つは、夥しい蚊。そしてカエルの鳴り止まぬ鳴き声。しかしそれには、しばらくして慣れたそうです。が。官舎のベッドに紛れ込んできたムカデにはやられました。奥様が、11cmのムカデに3箇所噛まれたのでありますね。このような虫は、ドイツには居なかったようで。

で、噛まれたのが早朝の5時前だったので、取り敢えずアンモニア水でこすり、痛みを堪えながら夜明けを待ち、朝7時半に武田病院に行った、とあります。

そう。武田病院。ここにあった武田病院。院長の武田鹿雄先生はドイツ語が堪能で、ボーナー一家の主治医になっちょった訳だ。

その武田病院の跡地が、戦後になって県立中央病院になりました。西側がこうちまち保育園。
中央病院は、小生が生まれた後、桜井町の現在のフジさんがある場所に移転。そして、現在は高知市民病院と統合されて医療センターになりました。
こうちまち保育園は、この向こうの現在地に移転、ここは合同庁舎の駐車場になりました。

こうちまち保育園の敷地の東端にはドングリの樹が並び、西端には桜の樹が並んでおったと言います。ドングリがどこへ行ったのかわかりません。が、桜の樹は、現在の柳原橋の北詰を少し西へ行った所にある忠霊塔界隈へ移植されたと言います。今も、桜の季節には見事に咲き乱れる、あの桜。あの桜は、かつて、ここにあったものと言います。


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