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二葉町から中の島へ〔4404〕2015/05/07

二葉町から中の島へ

2015年5月7日(木)曇り

連休も終わりました。今朝4時過ぎ、出勤しておりましたら小雨。今日はにわか雨が降るような予報になっちゅう高知県地方。

さて。
こないだ、高知新聞に、小生の「高知痕跡学会」の記事が掲載されました。いや、まっこと、お恥ずかしい限り。で、その記事を読んで、いの町に在住のF子様という方から、丁寧な丁寧なお葉書を頂戴しました。F子様は、83歳。孕の水上飛行場跡や、沈下橋の思い出を書いて下さった後、こんなのもありました、ということで、2つ、ご紹介して下さいました。

そのうちの1つが、ここ。小生の家のしゅっと東。現在鏡川大橋北詰の、堀川。
「現在の二葉町から対岸の中の島まで渡し舟があり、中の島には造船所がありましたので、工員がしれで仕事に行っていましたし、私たち近くの子どもは、夏になると、それで中の島へ行き、鏡川で遊んだものです。」
とのこと。場所は、F子様のご記憶ではこの写真の界隈。堀川が広くなってきた部分。ここに、渡し舟があったのでありましょう。

F子様の子ども時代、となりますと、年齢から推察申し上げて、戦前。かつて、中の島には造船所がありました。
高知市が発刊しております「描かれた高知市」を見て、確認してみましたが、戦前の地図には中の島の詳しい情報は書かれておりませんでした。石油会社と製材工場は、昭和10年の地図に見えます。
ずっと下って、昭和39年の地図には「中島造船」というのが見えます。

ともあれ、渡し舟。
中の島は、九反田から東に伸びた棒堤。そこのトン先へ行くには、九反田からやって来るか、対岸からの渡し舟しかなかった訳だ。
堀川は、かつては、高知でも有数の舟の往来が多かった川。なので、夥しい舟が行き来しておりました。狭い部分は、そんな舟の往来にマギりますので、この界隈、川幅が少し広がった辺りで、渡し舟が運行されよったのでありましょう。

中の島に渡って川で遊んだ、というのが、とても良いですね。

そんな渡し舟は、中の島に道路が通り、車社会になってきてから、廃止されたでしょうか。そうなると、子ども達は、気軽に中の島の方へは行けんなったでしょうか。

写真に写っちゅう橋は、鏡川大橋。あの橋が完成したのが昭和56年。その完成によって、二葉町、常盤町から中の島へは橋で行けるようになりました。しかし、もう、子ども達が中の島へ渡って川で遊ぶ、ということは、なくなりました。時代の流れか。

小生の家は、このしゅっと西。で、Jr.1号、2号は、そこから新堀小学校へ通いました。この橋を渡れば、昭和小学校の方がずっと近いのでありますが、橋が無かった時代は、堀川の最下流の橋は大鋸屋橋で、そこまで行くと新堀小学校の校区。なので、橋が架かってからも、中の島は、トン先まで、新堀校区であったのでありますね。

今は橋が架かり、浮き桟橋にプレジャーボートが並ぶ風景。
ここを、九反田の市場や農人町の倉庫に向けて夥しい船が往来していた時代。橋はなく、工員さんや子ども達を乗せた渡し舟が、往来する船を避けるようにのったりまったり運行していた風景。


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