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春や昔 十五万石の 城下かな〔4386〕2015/04/19

春や昔 十五万石の 城下かな

2015年4月19日(日)曇りそなもし

そんな訳で今朝も松山。愛媛県松山市。
昨夜はまた、二番町、三番町界隈でグッスリやりました。いや〜飲んだ飲んだ。で、今朝は重い重い身体を引き摺るようにして起き出し、松山城。そう。メッソ遠出はようせんかったがです。

朝の松山城は、大勢の善男善女が登りに来る山。城山の標高は132m。なので、この山は金沢城や名古屋城、大阪城のように洪積台地の上に立っちゅう訳ではありません。山。プレート運動によって盛り上がった、山。中央構造線の北側になるので、領家家帯でしょうか。
どうやらこの城山を分断するように東西に断層が走り、北側が花崗岩中心の岩層、南側は和泉層群という砂岩、泥岩主体の岩層になるそうだ。本丸の所に上がっていく石段は、花崗岩が使われちゅうようでした。

松山城。
最近大規模な改修工事が行われ、美しくなりました。石垣の補修も完了して、見事な曲線美を見せてくれております。
松山城を築城したのは、このにっこりでも何度も書いてきました通り、加藤嘉明さん。賤ヶ岳七本槍の一人で、秀吉のお気に入りですな。
文禄四年(1595年)に伊予松前(正木)6万石を拝領。関ヶ原後の慶長六年(1601年)、伊予半国20万石に加増。で、お城を松前からここ松山に移すことにして、翌年から築城を始めた訳ですな。

この城山、築城の頃は、禿山であったと言います。燃料や住宅用に伐採され尽くしておったのでしょうか。築城後、アカマツが植林されて、一面に生い茂り、文字通り松の山になった訳だ。なるほど。
この山は勝山。で、加藤嘉明がやって来て、家康公の姓、「松平」に敬意を払うて、勝山を松山に改めた、という説があります。結構有力な説。
で、アカマツを植林して松の山にしたがでしょうかね。知りませんが。
ちなみに松山藩は、嘉永十二年以降幕末まで、松平家が藩主となります。

この天守閣。藩政期からの現存天守ですが、実はそんなに古くない。天明四年(1784年)に落雷で焼失し、幕末近くまで再建されませんでした。通常、そうなると幕命で再建を許されることはなかなか無いのでありますが、第12代藩主松平勝善が、嘉永五年(1852年)に再建、安政元年(1854年)に盛大に落成式が執り行われた、とあります。さすが松平。ペリーが浦賀にやって来たのが嘉永六年(1853年)ですきんね。そんな時代に、天守閣を再建して盛大に落成式。
さすが松平。

そんな訳で、この美しい天守閣がつくられ、明治維新や戦争をくぐり抜けて、今に残っちゅうという訳です。
春や昔 十五万石の 城下かな


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