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辷山考〔4375〕2015/04/08

辷山考

2015年4月8日(水)降ったり止んだり

少し冷え込んできました。なんというお天気でしょうか。しばらく青空を見てない気がします。高知は、もう、梅雨入りしたようなヘンテコリンなお天気が続いております。

昨日、高知城の黒瀬川帯のお話を書きました。ので、今朝は辷山。すべりやま。写真は、今朝5時前の辷山北麓。辷山は、追手前小学校の校区であったこともあり、子供の頃、ビッシリ遊びに来た場所。その北側に、こんな石灰岩がニョキっと生えちゅうことには、当時は全然気付きませんでした。ペルム紀中期、2億6千万年前頃の石灰岩ながやそうです。

昨日も書きました通り、高知城のある大高坂山は、日本でも有数の古い地層である黒瀬川帯の岩石でできた山。黒瀬川帯の中でも特徴的な黒瀬川構造帯で、4億年以上前、地球にゴンドワナ大陸があった時代の岩石でできちゅうそうです。
で、辷山は、大高坂山と一体になっちゅうみたいに見えますが、違う地層。上にも書いたように、2億6千万年ほど前の地層。

この、ニョキっと生えた石灰岩には、昭和42年に高知市によって建てられた説明の碑があります。正面に「高知市保護天然記念物 辷山北麓の含化石石灰岩塊」と刻まれ、裏面に説明文。
「高知公園付近一帯の地層は、秩父帯高岡層に属し、約二億二千年前の海底堆積によるものである。この岩塊もその一部であって、標準石フズリナ(紡錘虫)を含む石灰岩質礫岩である。」

なるほど。昭和42年だ。
まず、二億二千年。これは、二億二千万年のことでしょうな。二億二千年だとピンポイント過ぎる。で、この説明だと、高知城の山全体が高岡層で、しかも海底堆積にとよってできた、というように読めます。
しかし。昨日も書いたように、近年の研究では、大高坂山は黒瀬川構造帯に属し、ゴンドワナ大陸から分離した小大陸、またはその近辺の浅海由来の地層である、ということが判ってきちょります。で、辷山は、2億6千万年前くらいの地層。

この、高岡層という言い方は、最近はあまりしないようです。黒瀬川帯の周囲にはペルム紀付加帯が存在することが判っちょりますので、この、ニョキっとした石灰岩は、黒瀬川帯のペルム紀付加帯、ということながやないでしょうかね。いや、素人の想像なので、真相はわかりませんが。

さて。あまり地層の話ばかりが続くので、この辺で有史以来の話。近世から近代。
藩政期後期の絵図を見ると、江ノ口川は、この石灰岩の横を流れております。今の城西公園の北を東流した後、直角に右折、南流して、U字型に左に曲がり、この石灰岩の横を北東に流れて今の江ノ口川のところに戻ってくる。そんな流れ方をしちょります。
この石灰岩の北側、旧江ノ口川の北岸の、U字型に囲まれた土地が、藩で使用する陶器を焼いた尾戸。尾戸は小津ですな。

江ノ口川の南岸に屹立しちょったこの石灰岩。どんな風景の中に立っちょったでしょうか。郷土史家の岩崎義郎さんは、船でも舫うちょったかも知れない、と想像しちょります。

江ノ口川の、その流れは、大正の頃まで続きます。昭和初めの地図を見ると、今のように真っ直ぐの流れに付け替えられちょります。

明治14年(3歳)から明治29年(18歳)まで、江ノ口川の北岸で暮らした寺田寅彦さん。当時は、この石灰岩の横を流れていた江ノ口川。
後年、少年の頃を思い出して「ホトトギス」に書いた文章があります。以前にも一度ご紹介しましたが、この界隈のことを描写しちょりますので、今一度転載しましょう。

「帰り途に旧城の後ろを通った。御城の杉の梢は丁度この絵と同じようなさびた色をして、お濠の石崖の上には葉をふるうた椋の大木が、枯菰の中のつめたい水 に影を落している。濠に隣った牧牛舎の柵の中には親牛と小牛が四、五頭、愉快そうにからだを横にゆすってはねている。自分もなんだか嬉しくなって口笛を ピュッ/\と鳴らしながら飛ぶようにして帰った。」


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