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月見山、姫倉城、メランジュ、岡本弥太〔4367〕2015/03/31

月見山、姫倉城、メランジュ、岡本弥太

2015年3月31日(火)薄曇り

春爛漫。
昨日は、弊社に生乳を納めてくださっております酪農家さんの団体、高知県中央酪農組合連合会の総会。お昼から、葉牡丹で。
新しい会長、副会長さんも選任され、総会終了後はおいしいお酒を飲ませて頂きました。いや~、飲みました飲みました。お昼から葉牡丹、二次会はひろめ市場、という、高知県人の黄金パターンで過ごした月曜日。この酪農家さんたちのお陰で、ひまわり乳業は、良い牛乳をつくることができるのであります。ホントにありがとうございます。

今日は、月見山に来ちょります。旧香我美町、現在の香南市の東端、平野から太平洋に突き出すように連なる連山の先っぽ。月見山と言えば、土御門上皇ですよね。
承久の乱で、土佐国の幡多へ配流となった土御門上皇。貞応2年(1223年)に阿波へ遷ることになり、その途中で、月見山の西麓にあった常楽寺さんに寄り、一時的に御所にした、とされます。常楽寺さんは、五台山の名刹、竹林寺さんの末寺。今は寶幢院というお寺さんになっちょります。

で、この山で観月した、という故事から、月見山と呼ばれるようになった、という話は有名。
かがみのや たが偽りの なのみして こふる都の かげもうつらず
これは、常楽寺滞在中に土御門上皇が詠んだ歌とされます。追放された都に恋い焦がれ、「鏡野」などと言うたち都の影も映らんではないか、と嘆いた歌でしょうか。

月見山。
今は南側を国道が通りますが、往時は、太平洋に突き出した岬であったでしょう。写真は、その、岬の真下。国道沿いに鎮座まします峯本神社さん境内。この絶壁の上、標高68mの崖上に、姫倉城址があります。
戦国期の城主は、姫倉豊前守、姫倉右京。永禄12年(1569年)に長宗我部元親軍に攻められて安芸へ敗走。その後は長宗我部配下の武将が守ったにかありません。
何故、姫倉城と言うのか。
上久保五郎兵衛という人物の「先祖代々覚書」というのが「土佐国蠧簡集竹頭」にありまして、それによりますれば、先祖の姫宮が密妊の咎で配流となり、この山に居城したので姫倉城と呼ぶようになった、となっちゅうそうです。真相はわかりません。

月見山。
地層的には、月見山メランジュが有名。四万十帯、北帯。この東側の手結メランジュと共に、遠く南太平洋から運ばれてきた海洋プレートが陸側のプレートに沈み込む際に、付加され、盛り上がった地層、メランジュ。泥岩に、枕状溶岩、赤色頁岩、そしてチャートなど、地層の順番がバラバラになって混じり合った月見山メランジュ。この峯本神社さんのところでは、メランジュが見事に露出しちゅうがが見れるのであります。すごい。
チャートとは、海洋底に積もった生物の殻などが岩石になったもの。月見山メランジュでも、チャート内の放散虫とかの研究が為されちゅうとのこと。

それによりますれば、月見山メランジュ、ジュラ紀から白亜紀にかけての放散中が検出された、とされます。四万十帯なのに、なかなか古いですな。
まあ、素人なのでよくわかりませんが、とにかく、月見山は、プレートの沈み込む運動によって盛り上がってできた山ながでしょう。

左端に写っちゅう碑。これは、明治32年に、ここ、岸本で生まれ、大正から昭和初期にかけて活躍した詩人、岡本弥太さんの詩碑。没後の昭和23年、有志によって建立されちょります。

白い牡丹の花を
捧げるもの
剣を差して急ぐもの

この光青くはてなく
このみちを
たれもかへらぬ

生涯で唯一出版したという詩集「瀧」に収録された「白牡丹図」という詩が、高村光太郎揮毫によって刻まれ、月見山の麓に建立されちょります。


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