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先人の志と壱岐殿堀〔4352〕2015/03/16

先人の志と壱岐殿堀

2015年3月16日(月)今の所晴れちょります

昨日の晩は、弊社社員さんの婚礼。良い結婚式でした。お開きになった後、何人かの社員さんと中央公園へ。土佐のおきゃくが、昨日の晩9時で終わるので、飲みに行きました。高知はすごい、と思わせてくれる、野外での宴会のしつらえ。高知県人は、外で飲むのが大好きなんでありますね。

外で飲む、と言えばもうまあお花見。高知での花見のメッカと言えば、ここ、堀川。今朝、4時過ぎの堀川の風景を撮影してみました。この堀川沿いに植えられちゅうソメイヨシノは、それはそれは見事。今朝の時点ではまだ蕾も膨らんでおりませんが、もうちょっとしよったらこの界隈は一面ピンク色に染まります。

ただ。ここの桜も、かなり高齢になってきました。以前にもご紹介しましたが、はらたいらの「おらんく風土記」という番組で、地元の名士、横山さんが登場し、まだ若くて小さい桜の樹を指差して、「あれは地元の有志が、将来桜の名所になったらエイね〜、という思いから植えたもんぢゃ。」と話しておりました。その志が実り、今は見事な桜の名所。
ただ、調べてみますれば、ソメイヨシノを、ここのように樹々の枝が重なり合う樹間で植えた場合、樹齢30年くらいでピークを迎え、その後、40年くらいから日照不足などで衰え始める、という話があります。その説が正しいとすれば、ここの桜は間もなくピークを迎え、衰え始めるのかも知れません。

先人がそうであったように、我々も、その後どうしてゆくのか、志をもって考え、実行していかんといかん時期にきちゅうがかも知れません。

左手が中の島で、右手が農人町。向こうに大鋸屋橋、ホテル日航高知旭ロイヤルさんが見えます。
その、プレジャーボートが泊まっちゅう辺りが三ツ頭番所跡。明治期には水上警察が置かれました。
かつては、この界隈までが自然にできた入江であったにかありません。で、藩政期初期に西へと水路が掘られて延伸。現在の新堀川、当時の横堀と、この堀川が繋げられたのが17世紀の後期。それで、堀の交差点ができました。

この堀川は、三ツ頭堀とか壱岐殿堀とか呼ばれたそうです。
壱岐殿。堀が掘られた藩政期初期に、土佐で壱岐殿と言えば、山内吉佐(やまうちよしすけ)さんと思われます。土佐藩の家老。元々酒井姓で、豊臣家臣、酒井家の系譜。慶長五年(1600年)に山内一豊に中老職で仕えるようになった、とあります。で、浦戸城を拝領したという、まあ、土佐藩初期の重要人物。浦戸城拝領の際に山内姓も貰うたそうですきんね。この山内吉佐さんが、雅楽とか壱岐とかの通称を持つのでありますね。
その壱岐殿の名前が付けられた堀。その工事に、壱岐殿が関係しちょったがでしょう。この人物、大坂城普請の課役も務めちょりますので、土木工事に精通しちょったがかも知れません。

このにっこりではビッシリ書いてきたように、戦国の武将は、皆、土木プランナーであり土木技術者でもありました。

この壱岐殿、奥さんに、一豊の弟、康豊の娘を貰うちょります。と、言うことは、二代藩主忠義公の妹が、奥さん。
その奥さんが産んだ子が山内豊吉(とよよし)で、野中兼山糾弾の音頭を取り、兼山失脚のきっかけをつくった人物なんでありますね。成る程。で、家老になって、兼山の領地をそのまま拝領した、という人物。

この堀川は、その人物のお父さんの名前が付けられた堀。壱岐殿堀。


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