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浦戸湾の地形、地盤と浦戸大橋〔4328〕2015/02/20

浦戸湾の地形、地盤と浦戸大橋

2015年2月20日(金)晴れ!

ここは浦戸湾。太平洋への狭い出口に架かる浦戸大橋。小生が小学生の頃、昭和47年に完成した美しい橋。この橋ができるまで、浦戸と種崎の間は巡航船かポンポン船で行き来するしかありませんでした。小さいポンポン船、覚えちゅう方も少のうなってきちゅうと思いますが、浦戸の母の実家から種崎海水浴場へ泳ぎにいくのに、乗りよりました。

さて。
こないだうち、長岡台地のことを書きました。土佐山田の市街地などを含む、物部川と国分川に挟まれた台地。砂礫層で、地盤が固い、という話を書いてきちょります。
洪積台地。
関東平野のほとんどが海となった12万5000年程前。最後の氷期、ヴュルム氷期が始まる前の間氷期で、気温が上がり、氷河が溶けて海水面が世界的に数十メートル上昇した時期。山から運ばれてきた土砂がその広大な海に流れ込んで堆積し、下末吉台地と呼ばれる台地を形成しました。
東京の都心部の台地のうねうねも、それに由来しちょったりします。地盤が固いので、海退期に河川に侵食された際には谷が深くなる。麻布界隈とかのうねうねが、そうやってできた地形。
で、その12万年ちょっと前の海進期を下末吉海進と呼ぶ訳ですが、同じ海進を、名古屋では熱田海進と呼びます。

そう。熱田神宮が鎮座まします、あの台地。名古屋城、金山、熱田神宮とつながる台地も、その時期の海進によって形成されちゅうそうです。

長岡台地がそうなのかは、手元に文献がないので知りません。地学素人ですきんね。どちらにしましても、四国の山から流れてきた土砂が堆積し、形成されていった台地。土地の隆起もあったでしょうし、繰り返された氷期、間氷期、つまり海退、海進の繰り返しの中でできていったことも間違いない。

さて。
12万年ちょっと前の海進の後、ヴュルム氷期となって地球の氷河が増え、海水面が下降。2万年前ちょっと前には、今より120mも低い海水面になったと言います。瀬戸内海は陸になり、高知でも、海岸線はずっと沖にあった、そんな時代。
ここ、浦戸湾も陸地となって、山から流れていきた河川は、山と山の間を深く刻んで谷となっちょりました。つまり、その時代、この場所は深い深い谷であった、と。

さて。氷河期が終わり、海水面がどんどんと上昇。浦戸湾が海に戻っていく。山から流されてきた大量の土砂が堆積し、高知の中心部がある沖積平野を形成する。
この、浦戸湾口界隈には、氷期には特に深い谷が刻まれて海に流れ出していました。そこに、大量の土砂が堆積して、今の種崎界隈の土地となった、と言います。まだ、硬くなるほどの時間が経過してない、柔らかい泥土の層。120mの層。
固い地盤はその泥土の下にあるそうです。氷期に刻まれた谷底。120m下。そこまでいかんと、固い地盤がない、そんな土地。
そこにこの巨大な橋を架けるに際し、120mも掘り下げて基礎を打ち込むことはできない。と、いう訳で、仕方ないのでケーソンを横にして置き、その上に橋をつくっちゅう、と、地震研究で有名な高知大学の岡村先生がおっしゃっておりました。

つまり。この橋は、地面の上に置いちゅうような橋である、と。
南海地震が発生し、津波がこの湾口を襲うたら。
最悪の場合、この、置いてあるだけの橋を押し倒す可能性もある、と言うておりました。そうなると、橋が浦戸湾の入り口を塞いでしまう。そんな事態になると、災害救助にも支障をきたす。
そんな不安を語っておられました。

写真の通り、現在、耐震補強工事を行いよります。工法などを書いちゅうので見てみました。橋脚自体を補強したり、橋脚と橋部分がズレないようにしたり、といった補強工事。橋脚の土台部分は、コンクリートなどを使って補強。しかし、120m下の固い岩盤に基礎を打ち込む訳ではなく、置いてあるケーソンの上で倒れにくくする、そんな補強工事。

地盤や地形の成り立ちを勉強すると、色んなことが見えてきますね。
ここが、この海面より120mも下を川が流れる谷であった風景を想像してみましょう。すごい風景。


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