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新町市屋敷、平均120坪〔4311〕2015/02/03

新町市屋敷、平均120坪

2015年2月3日(火)晴れ!

今朝は、岡豊に用事があって来ちょります。おこう。早めにやって来て、岡豊山に登ってみました。長宗我部氏の居城、岡豊城址。県下には、朝倉城址をはじめとして、たくさんの中世の城郭跡があります。が、城址として整備され、一般人にもその様子がわかるようになっちゅうのは、岡豊城址だけ。県立歴史民俗資料館もあって、歴史公園の趣を備えちょります。

その、ニノ段から東方を撮影したのがこの写真。以前にもご紹介したことがありますね。眼下を流れるのが国分川。左端の森が、国分寺さんの森。その向こうに、古代、土佐の国衙が置かれちょりました。国分寺の南側のホノギが市町で、市が立てられ、ちょっとした都市が形成されちょったようです。
戦国期になって、長宗我部氏が勢力を増すと、都市機能はこちら側、岡豊山に近い方へと移ってきたにかありません。
高知東道路の向こう側の田んぼ。新町市屋敷と呼ばれた地域。東道路から斜めに、田んぼを突っ切る直線の畦道が見えます。あの田んぼ道が、市町のメインストリートであったと言います。そのストリートに、73の屋敷が、平均二十代の規模で並んで市場町を形成しちょりました。
一代が、太閤検地の際には6歩、つまり6坪と定められたので、二十代と言いますと120坪。なかなかの広さ。平均120坪の屋敷が並んだ市町。この風景を目を凝らして眺めていると、見えてきませんか?かつてここにあった、市町が。

因みに、眼下左側の界隈が、元の八幡村。この岡豊城の鬼門に古くから別宮八幡宮さんが鎮座ましますので、八幡町。別宮八幡宮さんの宮司は代々谷家がつとめ、元親の時代には谷左近が元親に仕えちょります。
八幡村の南、国分川の北岸は、岩清川村とも呼ばれておったにかありません。八幡村に含まれちゅうケースも多いようですが。
国分川は、この界隈では岩清川と呼ばれよったと言います。なるほど。別宮八幡宮は、岩清水八幡宮から勧請されてきた、という言い伝えと関係あるがでしょうかね。岩清川と書いて「いわしがわ」と読みます。

この、豊かな田園風景。古代、土佐の国府が置かれ、栄えたのが国分寺の向こうの界隈。そして、戦国期になって都市が形成され、栄えたのが、手前のエリア。
元親が、岡豊の城を離れ、現在高知城がある大高坂山に本拠を移した際、新町市屋敷は、そっくりそのまま、その城下へと移され、同じく「新市町」と呼ばれるようになった、という話は、何度も書いてきました。
現在のはりまや橋小学校の西側。

冬枯れの田んぼ。つわものどもの、夢の跡。


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