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農人町、常盤町、稲荷新地〔4310〕2015/02/02

農人町、常盤町、稲荷新地

2015年2月2日(月)晴れ!

良いお天気。高知の冬らしい朝になりました。
朝4時過ぎ、家を出ますと、西の空にまん丸お月様。綺麗な綺麗なお月様。なので、常盤町の歩道橋の上から撮影してみました。西の空のお月様。ホテル日航高知旭ロイヤルさんの右肩で輝いておりました。その上方を見ると、仲良く星が二つ。もちろんふたご座のカストルとポルックス。

ここは常盤町の歩道橋の上。この写真に写っちゅう街は、今の町名で言えば「南宝永町」。ですが、城見町という呼び名の方が、地元では通っちゅうかも知れません。嘗て、お城も見えておったのでしょう。城見町の南、この写真では左側の、堀川沿いの町が農人町。山内氏が高知の城下町をつくった最初の頃に、現在の宝永町に城下町の外堤を築き、その内側を耕作地にして藩主の御手先農民に耕作させたのでありますね。で、その農民たちには長屋を貸与して住まわせましたが、その長屋があっや場所が農人町と呼ばれるようになった訳だ。

農人町の北側は、ずうっと田んぼ。昭和になるまで、ずうっと田んぼ。田んぼの北側は新町で、これは寛永13年(1636年)に新たに開かれたニュータウン。

では、この歩道橋から東は。
外堤の外側、ということで、湿地帯であったのでしょう。高知の城下町の外側の湿地帯でした。しかし、天保元年(1830年)になって、堀川の北岸に町がつくられました。商人町。堀川は高知の城下の物流の大動脈やったので、商人が住んで商売するエリアが必要になってきたのでありましょうね。
その町が、常盤町と呼ばれたのであります。
それは、堀川沿いに松並木があったから。そう。常盤松。
松は常緑樹で、寿命の長い樹木。なので、松の古木に「常盤松」と名前がつけられたりしちょります。

東京の渋谷に常磐松町、という町名があります。これを見ると、常盤ではなくて常磐。皿ではなくて石。常磐松町には、古木「常盤松」があって、それが町名になった訳ですが、皿は割れてしまうので石にしたとのこと。
ちなみに、この高知の常盤町は、皿ですね。

東京の常磐松町には、明治になって、皇室献上用の牛乳を生産する御料牧場がつくられました。正確には御料牛乳場。今はもうありませんが、日本の乳業史を彩る場所のひとつであったのが常磐松町。

話が逸れました。
常盤町の東側は稲荷新地。明治から昭和初期にかけては下(しも)の新地として賑わい、上(かみ)の新地である玉水新地と併せて、高知の二大歓楽街となっちょったのはご承知の通り。
平凡社の「高知県の地名」という本で見てみましたら、元々は、鏡川北岸の静かな土地に、幕末の慶応2年(1866年)、長岡郡池村の慶蔵という人物が宅地造成を願い出たのが、はじまり。
で、翌々年6月から藩直営の堰堤拡張造成工事が開始し、その翌年完成。慶蔵くんはどうなったんでしょうかね。

そこは稲荷新地と呼ばれ、明治の時代を迎えた高知の城下にあって、瞬く間に歓楽街として成長していったのであります。

堀川北岸の歴史。
寛永2年(1625年)に農人町。天保元年(1830年)に常盤町。そして明治2年(1869年)に稲荷新地。城下から東へ東へ、と延びていった歴史。
今は、もう、常盤の松並木も下の新地も、面影すら残っていません。


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