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終焉の地〔4244〕2014/11/28

終焉の地

2014年11月28日(金)快晴!

良いお天気。汽車に乗って本州方面へと向かいよります。
写真は高知駅の南側。ここに、このような碑が立つことは、メッソ知られちょりません。この碑は、石川啄木の父、石川一禎さんの終焉地であることを示す歌碑。裏面の銘板に刻まれちゅう文章を転載してみましょう。

「啄木の父石川一禎は 嘉永三(1850)年岩手県に生まれた。渋民村の宝徳寺住職を失職、一家は離散。次女とらの夫 山本千三郎が神戸鉄道局高知出張所長として1925年に赴任し、一禎も高知に移住した。穏やかな晩年を過ごし。1927年2月20日に所長官舎(北東約100m)で76歳の生涯を閉じた。3850余首の歌稿「みだれ蘆」を残し、啄木の文学にも影響を与えた。

よく怒る人にてありしわが父の
日ごろ怒らず
怒れと思ふ 啄木

寒けれど衣かるべき方もなし
かかり小舟に旅ねせし夜は 一禎

2009年9月12日
啄木の父一禎終焉の地に歌碑を建てる会 建之」

なるほど。そういう訳で、ここに終焉の地の碑が立つ訳だ。

終焉の地。
このにっこりひまわりでも、様々な人物の終焉の地をご紹介してきちょりますね。
山田の、野中兼山さんの終焉の地は、とっこ石さんの東側にあります。
種田山頭火さんは、行乞の末、愛媛松山の一草菴を終の住処としました。
津野親忠さんは、弊社の近く、岩村にて悲劇的な最期を迎えました。

終焉の地として、哀しすぎるのは、小豆島の尾崎放哉終焉の地、南郷菴。何度か行っちょりますが、何故かこのにっこりで写真をご紹介したことはありません。
酒乱。東京帝国大学法科を卒業し、東洋生命保険で出世の道を歩みむ、酒癖が悪すぎて転落の人生を歩みました。最期は小豆島に辿り着き、寺男として極貧の暮らしをしながら、自由律俳句を詠み、最期を迎えた尾崎放哉。

咳をしてもひとり
障子あけて置く 海も暮れ切る
いれものがない 両手でうける

自由律の句は、やはり、それを詠んだ人物の人生や背景があってこそ。そういった意味で、尾崎放哉や種田山頭火を超えることは、今や、不可能なのかも知れません。

寺田寅彦さんの、あの、儚い文章も、妻たちの儚い人生があって、重みを増してきます。
寺田寅彦さんの最初の妻、夏子さんは、桂浜の山裾の小さい小屋で療養し、亡くなりました。終焉の地。そこも哀しい終焉の地。
寅彦は、最期の別れを意識しつつ、夏子を見舞いました。その時の日記は、あまりにも哀しい。


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