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川上神社古墳、河野氏、越智氏〔4213〕2014/10/28

川上神社古墳、河野氏、越智氏

2014年10月28日(火)快晴ぞなもし

今朝は、松山へ行っちょりましたぞなもし。お昼過ぎには高知へ帰ってきちょりましたが。
で、ここは東温市川内。松山自動車道の川内インターの近く。旧川内町役場の北方の小高い丘の上に鎮座まします川上神社さんの本殿の真裏。朝、早く着いたので、ちょっと寄ってきました。

川上神社さんは、昭和18年から川上神社ですが、それ以前は川上大宮五柱神社。その前が川上大宮五柱大明神で、その前は稲荷五社大明神とか河上社とか大宮社とか呼ばれておったそうです、
由緒ありげな雰囲気のある、丘の上。
創始は不明のとのことですが、応永四年(1397年)に、伊予国司河野通久が社領を決定、応永三十四年(1427年)に社殿を再建し、河野家の祈願所とした、とあります。
河野氏は、河野水軍で有名な、中世の瀬戸内海の覇者。

通久の9代前の御当主が河野通信で、源平合戦の際に源氏方で大活躍した海の武将であるのは有名。
鎌倉、南北朝、そして室町時代の伊予は、河野氏によって支配されちょりました。

河野氏は、元々の伊予の国人領主であった越智氏の流れを汲む、とされます。越智氏。
藤原純友の乱の小説を読みよったら、在地の強大な領主として君臨する越智氏、と描かれちょります。何度かこのにっこりでもご紹介した大三島の大山祇神社さんには、オチノミコトお手植えと言われる古い巨大クスノキがございますので、越智氏、とにかく古い氏族で、伊予、そして瀬戸内に覇を唱えてきたことがよくわかりますな。

で、この写真。
河上神社古墳、という、大正2年に発見された、古墳時代終末期の古墳。川上神社本殿の真後ろ。わかりにくいですが、この左下のところに石室の入り口が少しだけ顔をのぞかせちょります。横穴式石室。説明板によりますれば、墳丘の大きさは約40mと20mの長円形。墳丘には2つの石室があり、この写真は、東側の石室入り口。この石室の全長は7m。玄室の長さ2.65mで、馬具類などの副葬品が出土し、なかなかの有力者のお墓であったと思われるそうです。

と、言うことは。
越智氏は、大和朝廷による国造の制度ができた当時の5世紀後半頃から名前が見えると言いますき、この古墳が造営された頃には既に実力者。関係あるのでしょうか。この古墳をお祀りするように建てられた神社が、越智氏の係累と言われる河野氏によって祀られちょりますきんね。
越智氏は、今治界隈が本拠とされ、この川内とは、桜三里で隔てられちょりますし、ここは海に近いわけでもない。ので、関係ないかも知れませんが、あるかも知れない。

地方の古墳は、そこに埋葬された有力者が誰であるか、まったく特定できない、想像もできないケースが多いのでありますが、ここは、越智氏と関係あるかもしれない、などと妄想できる古墳なのですね。伊予の歴史にはまったくの素人で、見当違いの妄想かも知れませんが、朝っぱらから楽しませて頂きました。川内に鎮座まします川上神社古墳。


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