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千屋城趾、四国山地、笹越え〔4203〕2014/10/18

千屋城趾、四国山地、笹越え

2014年10月18日(土)晴れ

昨日は、実に、まっこと、有意義な発見がありました。いやあ、感動的。
よさこい節に歌われ、全国的に有名になってしまった幕末エリート僧スキャンダル事件の主役が、晩年、過ごした場所。
川之江で寺子屋の先生をした後、どこに行ったかわからんなっちょった純信さん。

昭和58年、愛媛県の久万町で交通事故に遭い、入院することになった「お菓子の浜幸」の濱田さんが、偶然同室になった方から、お馬の孫であると告げられ、それは有り得ないので、純信の係累かも知れない、と考えました。その内容を高知新聞の読者の広場に投稿、郷土史家の方々が調査を重ねて、どうやら、美川村で中田輿吉を名乗って暮らし、子孫も繁栄している、ということが判明した訳です。

昨日も書いたように、その話は知っちょりましたが、問題は、その暮らした場所。愛媛の山奥、としか思うてなかったその場所が、実に重要なことを教えてくれる場所でした。
やはり、歴史を学ぶということは、現地で体感してみんといかん、ということがよくわかる体験です。当時の、松山と高知を結ぶメインルートの、県境に一番近い集落。土佐を追放になった純信さんの、そこに住み着いた感情。
そう言えば、川之江も、参勤交代ルートで、土佐から近いと言えば近い。純信さんの、終生、土佐を忘れられずに過ごした有り様が、伝わってくるような気がして、胸が痛くなりました。文献を読むだけでは、このことは、決してわからんかったでしょう。現地で感じることの大切さ。歴史を学ぶ時、一番忘れてはならない姿勢であると思いました。

ここは今朝の下田村。高知空港滑走路の南西。前浜の北側。ここに静かに鎮座まします城八幡。千屋城址。千屋氏は、国人領主として勢力を延ばし、戦国期にはこの界隈一帯を支配した豪族。その本拠が、ここにありました。
今は滑走路の南の静かな集落。戦国期の風景は、どんなものであったでしょうか。たぶん、この南側は湿地帯。西には同じ豪族の蚊居田氏の居館が見えたでしょうか。北には立田氏の居館も見えたかも知れません。
この界隈、祠のようなものがたくさんたくさんあります。もちろんオサバイ様も多いのですが、ここで戦闘があり、戦死者が埋葬された痕跡である祠も多いと聞きます。目を閉じると、そんな風景が浮かんできます。

遠くに四国山地の山々。城八幡の樹の向こうに、乳房の形をした御在所山が見えます。あの横を通り、険しい笹番所を越え、険しい険しい矢筈峠を越えて阿波へと抜ける道があります。標高1293mの矢筈峠。五台山から駆け落ちした純信お馬。丁度梅雨の時期であったでしょうか。このルートで、国外逃亡を図りました。阿波からは猪ノ鼻峠を越えて琴平へ。
すごいルートです。今、そのコースを歩いて行け、と言われたら、たいがい断念してしまうような、そんな道。しかも役人に見つからんように、裏道や抜け道を探していったでしょうき、もう、獣道。それでも駆け落ちしよう、という執念は、愛の成せるワザなのでありましょうか。

しかし。もう、既に土佐藩からの手配は廻っちょりました。通達は、笹ヶ峰越えの参勤交代ルートで廻ったでしょうかね。で、金比羅さんの旅館「高知屋」で、捕えられてしもうた純信お馬。

久々に、そんな物語を思い出しました。
一度、その駆け落ちルートで、金比羅さんまでお参りに行ってみたいものです。


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