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旧松山街道、純信の熱い想い〔4202〕2014/10/17

旧松山街道、純信の熱い想い

2014年10月17日(金)快晴

今日は、香川、愛媛に行っちょりました。で、夕刻、松山支店を出て、高知へ。最近、松山からの帰りは、昔の松山街道ルートがマイブームになっちょりますので、今日もそのコース。国道33号線を、三坂峠から久万へと抜け、久万の町で左折。岩屋寺の横を抜けて面河川へ。そこから、土予国境を越えて池川へと抜ける狭いクネクネルート。このコースが、概ね、かつての松山街道のルートであったことは、以前にも書きました。

池川は、仁淀川町になる以前も「町」。山の中に、なかなかの集落があります。それは、交通の要衝であり、栄えた町であった訳です。

さて。写真は、県境のトンネル。愛媛県側の入口から撮影してみました。この県境に一番近い、愛媛県側の集落は「東川」。そこで、今日の夕刻、通りすがりに思いもかけないものを発見しました。何やら説明板があるので、車を停めて読んでみました。なんと。あのよさこい節の物語で有名な純信お馬の主人公、純信さんの墓所。ああ。ここにあったのか。なんということだ。

以前、何度も、純信お馬の物語については、このにっこりでも書いてきました。で、国外追放になった純信さん、川之江の親分、娚石亀吉さんの庇護の元、寺子屋の先生をしたりしよりましたが、お馬のことが忘れられずに土佐へ密入国、安田で暮らすお馬さんの元にこっそり駆けつけたりしました。バレて強制送還になる訳で、その川之江に住む純信さんの元に、かの河田小龍さんが立ち寄った際、お馬に宛てた熱烈な恋文を託された、てなことも以前書きました。

その手紙に書かれた署名「せんなり事 岡本要」が、その後の純信さんの消息を辿る手がかりになりました。

純信さん、川之江で暮らすこと一年半で、消息を断ちます。最終的に、愛媛の美川に住み、中田輿吉と名乗って暮らし、明治21年に69才で没した、というのが真相にかありません。東川、東光寺の過去帳の内容と「せんなり事 岡本要」との符合などから、判明しました。
「美川」と聞いちょったので、国道33号線から上がっていったスキー場界隈をなんとなく連想しちょりました。愛媛の、山の奥。
ところが、美川村は広く、美川村の東川は、こんなところにあったのでありました。

旧松山街道、つまり、土佐と伊予を結ぶメインルートの、国境に一番近い集落、東川。たぶん、国境まで5kmくらいしか離れちゃあせんがやないでしょうか。
国道33号線のルートが開発されたのは、明治27年。純信さんが東川で亡くなったのが明治21年なので、当時は、まだ土佐と伊予を結ぶメインルート沿いの町、東川。

明治の世になり、高知と愛媛の間の往来は自由になっちょりました。
しかし、土佐に限りなく近い伊予の集落で、しかも街道沿いで、亡くなるまで暮らした純信さん。今日は、その、複雑な、そして熱い想いに触れることができたような気がします。
故郷土佐への想い、お馬さんへの想いが忘れられない。しかし、土佐に帰る訳にはいかない。しかし帰りたい、逢いたい。

この県境のトンネルから一番近い愛媛県の集落、東川は、そんなことを妄想させてくれる微妙な位置にあることが、今日、判明しました。
やはり、歴史というのは、現地に行ってみんとわからない、ということを痛感します。終焉の地、美川は、単に愛媛の山奥ではありませんでした。

このトンネルを抜け、最初の集落は用居。そこを過ぎ、暗い山道を車で下って行きよりますと、カーナビの地図に「明戸岩」という地名。みょうと。夫婦。
純信さんが川之江で身を寄せたのが、親分、娚石亀吉さん。みょうといわ。みょうと。夫婦。不思議な因縁を感じました。妄想ではありますが。

純信さんは、お馬さんと夫婦になるのが夢でした。決してかなえられない夢。
国外追放後、暮らしたところに「みょうと」の不思議な縁。

突然、色んな発見があったりするので、色んな道を通ってみるのが楽しいですよね。実は、このルートで帰ってきても、松山高知間の所要時間、3時間かかりません。国道33号線と、そんなに変わらん所要時間。さすが、旧松山街道です。


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