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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

千葉、小湊、入道ヶ岬から日の出を拝む〔4172〕2014/09/17

千葉、小湊、入道ヶ岬から日の出を拝む

2014年9月17日(水)快晴!

今朝は千葉県鴨川市。昨日、神奈川県の久里浜から千葉県の金谷まで東京湾フェリーというのに乗り、そこから房総半島を横切ってやって来ました。鴨川市。お客様関係の会合出席のため。
東京湾フェリー、初めて乗りましたが、なかなか立派なもんですな。1時間に1便というのは、こないだうちから何度か乗りゆう、九四国道フェリーと同じ頻度ですが、船がデカイ。甲板にはカウンターやビールサーバーがあって、東京湾のクルージングにも利用されゆうにかありません。

しかし、神奈川県の三浦半島と房総半島の西側、実に近いのでありますね。フェリーで35分。しゅっとそこに見えよります。
源頼朝が伊豆に流されちょった時代。三浦氏や千葉氏の勢力をバックボーンに力を蓄え、鎌倉幕府を開くに至ったのは有名ですが、なるほど、その理由がよくわかります。そして、あの、狭くて発展性のない鎌倉に、わざわざ幕府を開いたのは、自分の勢力圏の中心であり、船でしゅっとのエリアに味方勢力がどっさりおったき、ということも、このフェリーで体感できました。いや、近い。

さて。
泊まったのは鴨川市ですが、平成の大合併までは天津小湊町。小湊の港近くの宿に泊まっちょったので、海岸界隈、たつくって来ました。
しゅっと近くに誕生寺。日蓮上人は、この辺で生まれたがにかありません。その生誕の地とされる場所には、大きな伽藍の誕生寺さんが鎮座まします。そこから海沿いの遊歩道を行くと、天然記念物「鯛の浦タイ生息地」の説明板。なんでも、ここのような浅い海で、人間の投与する餌などを食べながら群生する鯛は、珍しい、とのこと。ここで鯛を釣ってはいかんにかありません。
貞応元年(1222年)に日蓮上人が生まれた際、夜明けの渚に蓮華の花が咲き、海辺には清水が湧いて、海に大鯛が群れて跳ね上がって生誕を祝うた、という伝説も残るそうですな。

その遊歩道の行き止まりに、小弁天という、小さな島。その向こうの大弁天。土佐久礼の双名島みたいな感じでしょうか。小弁天さんには歩いて渡れたので、お参りしてきました。
で。

そこからは道がない。しかし、海岸は岩礁や狭い石ころの浜が連なり、どうやら頑張れば歩いて行けそう。と、いうことで、歩いてみました。
地図によりますれば、その先には入道ヶ岬という岬があって、そこまで行って岬をまわれば朝日が拝めそうやったので。海には、漁船が群れて漁に向かいよります。

そしてなんとか岬に到着、そこから東を撮影したのが、この写真。あの岬を越えると、勝浦でしょうか。美しい太平洋が広がり、朝日が昇ります。高知の海とも似いちょりますね。
紀伊半島の海とも似いちょります。ご承知の通り、紀伊の勝浦と、あの岬の向こうの勝浦は、同源とされます。元々、紀伊半島の漁師さんがやってきて住みついた、とも言われますよね。
もちろん高知にもやって来て住みつき、似た地形の場所が勝浦浜と呼ばれ、そして桂浜になった、という話はビッシリしてきました。

この風景を見て、なんとなく懐かしゅうに感じるのは、土佐と同じような海やきでしょうか。
ここから更に海岸の岩礁を進み、半島を一回りして、向こうの道路の所へと出ました。途中、ちくと海に落ちそうな危ない崖もあったりして、なかなかの緊張感を味わえました。
平な岩が波打ち際に広がっちょったので、これは歩きやすそうだ、と思うてそこを小走りし始めたところでスッテンコロリン。いやあ、滑る滑る。危険極まりない、岩の上。せられません。文字通り、かなり痛い目に遭いますきんね。肘をイヤと言うばあ打ってしまい、痣ができてしまいました。こんな、絶対に誰も通りかからんような岩礁で、怪我でもして動けんなったらオオゴトですきんね〜。

房総の海を、朝っぱらから堪能して参りました。


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