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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

手箱山、筒上山、大山祇神社、潮江天満宮〔4036〕2014/05/04

手箱山、筒上山、大山祇神社、潮江天満宮

2014年5月4日(日)ものすごく良いお天気

連休で一番良いお天気なのではないでしょうか。今日の行楽地や高知市内、観光客さんで溢れかえっちょります。小生も、今日はお休みを頂いて山。行ってきました、四国山地主脈。朝、4時に起き出して。

今朝の目的山は、手箱山(1806.2m)と筒上山(1859.3m)。手箱山は、頂上が県境に接していない山としては、高知県最高峰ということ。そうか。こないだの白髪山も県境には接してないけんど、1769.7mでしたきんね。
手箱山で有名なのは、氷室。藩政期、氷の番所も置かれちょった山。氷柱を冬季に埋めて、夏に掘り出して遠く高知の城下まで運び、殿様の贅沢に使いよったという、そんな氷室がありました。ので、7月には氷室祭りというがもやりよります。

しかし小生にとっての手箱山。
潮江天満宮の、本殿の後ろ側の小山の上に、小さな祠が鎮座ましますちゅうがをご存知でしょうか。大山祇神社。祠の横に立て札があり、由来を書いちょりました。今は字が消えて読めんなっちょりますが、嘗て書いちょった内容は、覚えております。「古老の言い伝えによると、手箱山の大山祇神社から勧請してきた」、という説明でした。
で、何故、手箱山なのか、ということが気になっちょったので、今日はそれの解明RUNでもあった訳です。
大滝という地区から登り始めました。氷を運んだ道。かなり走って上がったので、2時間ちょっとで手箱山。普通に登ると4時間近くかかるにかありません。頂上近くなると森林限界を超え、熊笹の原っぱ。そして、さすがは四国山地主脈。すべての山を下に見る、素晴らしい眺望でございました。果たして手箱山に、大山祇神社は鎮座しちゅうのか。

祠はありましたが、何の神様なのか、わかりません。で、尾根を下って手箱越えの峠へ。そこに鳥居がありました。手箱大権現。う〜ん、大山祇神社ではない。

そっから、極めて急な坂を登ります。途中から鎖を辿って、岩を登っていくと、筒上山。かなり宗教的雰囲気マンマンで、頂上に近づくに連れ、小さな祠がたくさん。天満宮とか猿田彦神社とか。
そして頂上には、かなり立派な祠。大山祇神社さん。

筒上山なので、潮江天満宮の大山祇神社に書かれちょった手箱山ではない。しかし、筒上山大山祇神社に掲げられちゅう説明板を読んで、すべてが氷解したのであります。氷室の山だけに。

ここで、言い訳。
実は、今日はたくさんの写真を撮ってきました。色んな状況で、素晴らしい風景や、珍しい真横に延びる虹も。もちろん、頂上の風景や、神社の説明板も撮影してきたのであります。が。しかし。そのメモリーカードを、帰ってきてからPCで読もうとしても、どうしても読めない。何度やっても。
で、念のため撮影したiPhoneの画像のみが、使用できる写真となったのであります。
そんな訳で、せっかく氷解した、潮江天満宮の大山祇神社、手箱山から勧請の謎は、その文章を読んだ小生の記憶によって、これから記載されます。いいかげんな説明必至ですので、心して読んで下さいね。

筒上山の大山祇神社さんは、まったく、潮江天満宮とは切っても切れない関係でありました。
潮江天満宮の言うところの手箱山は、実は隣の筒上山ながやそうです。なるほど〜。
で、菅原道真公が太宰府で薨去された折、その遺品を、土佐権守に赴任中の嫡男、菅原高視さんのもとに白太夫さんが届けてきたのはご承知の通り。その際、地元の宮地さんという方が、その遺品を祀り、潮江天満宮とした、ということにかありません。宮地さんが、代々、宮司さんになったという訳です。
時は流れて幕末。当代の潮江天満宮の宮地さんは、様々な霊験を感じる人物でした。で、神の導きにより、ここ、筒上山に大山祇神社を創建することになり、山頂界隈にいくつもの神様を祀って、信仰の山としての体裁を確立した、という話。頂上に至る岩壁の鎖も、その宮地さんが取り付けた、とのこと。
つまり、潮江天満宮の宮司さんである宮地さんが、このとてつもなく高い山のてっぺんに大山祇神社をつくり、潮江天満宮にも、そこから勧請してきた大山祇神社さんを建てた、ということになるのでしょうか。

さて。あやふやな記憶に基づいて買いちょりますので、間違うちょったら申し訳ございません。しかし、潮江天満宮の大山祇神社の由来は、筒上山にあり、それも、潮江天満宮宮司さんによって創られた、ということが判ってきました。

この写真。
筒上山の頂上は、筒の様に突き出した形状。なので、非常に急峻な訳ですが、頂上はなだらか。大山祇神社の鎮座する嶺から北へ少し行った場所に、もう一つの嶺。その嶺の上の写真です。向こうに見えるはご存知、石鎚山。霊峰、石鎚山。そして遥かに瀬戸内海も見えます。

四国山地のてっぺんは、簡単に登れない急峻な山々。そこに神が降り、人々が崇拝する。
何故、急峻な山と信仰が結びついたのか。

それは、そこに登って、そこに立ってみたら、簡単に、完全に、理解できます。


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