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修復された天守台から〔4030〕2014/04/28

修復された天守台から

2014年4月28日(月)薄曇り

今日は高松に来ちょります。香川県の高松。JRで来まして、お昼の時間を利用して玉藻城へ行っちょりました。高松城。瀬戸内海に浮かぶ、広大な海城、高松城。この天守台が平成17年から石垣修復工事に入っちょりまして、天守台へお堀を渡る、屋根付きの鞘橋も含め、通行止めになっちょりました。その間、入園料200円を払って城内へ入っても、お堀の対岸から工事中の石垣を眺めることにかできませんでした。
その工事が完成してから、まだ、行ったことなかったので、ちくと立ち寄ってみたのであります。

工事前、天守台に上には木造の建物があったことを記憶します。お城ではない、小さい建物。今日、やって来て資料をみてみましたら、わかりました。あれは、明治期に、天守が解体された後につくられた、初代藩主松平頼重さんを祀った玉藻廟やったがやそうです。

初代藩主と申しましたが、ご承知の通り、高松城を築城したのは松平氏ではござりませぬ。生駒氏。秀吉に取り入って讃岐一国を与えられた生駒親正さんが、天正16年(1588年)に築城を開始したお城。海の上に建てられ、お堀は海水が入り込むお城。海に屹立するように立てられた天守台は、その、生駒氏の頃からつくられちょったそうです。
生駒氏は寛永17年(1640年)にお家騒動で転封。その後に入ってきたのが松平頼重で、城を整備拡充し、明治の世まで松平氏が殿様として君臨したのでありました。

松平時代の高松城は広大で、今の市街地なども全部含むようなお城やったそうです。明治になって外堀が埋められ、お城の北側の海も埋め立てられました。今の、フェリーの桟橋とかがあるところ。
内側は陸軍省の管轄になって建物群は取り壊され、天守も、明治17年に解体。
なんとなく、ですが、明治になり、幕府側であった殿様のお城は無造作に解体され、官軍となった殿様のお城(高知城など)は残されたような気がします。
仙台の青葉城へ行ってみると、公園内の説明板に、「心ない俗吏によって青葉城の構築物が取り壊された」といった内容が書かれちょったことを思い出します。戊辰戦争で討たれた側にとってみたら、新政府から派遣されてきた横暴な役人は「心ない俗吏」で、許しがたかったことが、お城の説明板でもわかりました。

写真は、修復された天守台の上から北の方角を眺めたもの。海水が引き込まれた堀が、絵のように美しい。ずっと向こうに瀬戸内海が見えます。
堀の対岸は被雲閣庭園と呼ばれる庭で、大正時代につくられた庭園。その向こうに月見櫓が見えます。延宝4年(1676年)頃完成したとされる、海に突き出した櫓。小さいお城の天守閣くらいある、立派な櫓。

そう。高松城は、大きかったのであります。その天守閣は、高知城はもとより、松山城よりも大きく、四国最大規模であったにかありません。海に屹立する巨大なお城は、瀬戸内海を行き交う船からは、大きな要塞に見えたでしょうか。

修復なった天守台。石垣は、可能な限り、元の組み方を復元。なので、その天守台の上に立つと、なんとなく江戸時代を体感できます。この上にあった大きな天守閣の、そのてっぺんからは、瀬戸内海、島々、そして本州まで見張らせたでしょうか。

さあ。お昼休みも終わり。うどんも食べたので、お仕事に向かいます。


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