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マイナスイオンの道〔4022〕2014/04/20

マイナスイオンの道

2014年4月20日(日)雨

今日は久々の鏡川RUN。朝、市内の自宅から鏡川をずうっと遡上して走ってきました。最近、山RUNとかが多かったので、このような普通の鏡川沿いを走る日曜日は久し振り。これはこれで心地良いですな。

お天気、午後から崩れるみたいな予報やったのに、朝のうちから降り始めてしまいました。しかも、結構しっかり。
しかし小生、ご承知の通り、雨の中を走るがは好きなので、問題なし。
問題があったのは、頭。いやいや、まだ降らんと思いよったので、帽子をかぶらんづくとに走りに出たもんですき、生の頭に雨が降りかかるのであります。雨の際は、帽子の庇が雨除けになるがですが、今日は雨除けがないので眼鏡に水滴がついて、視界が悪うなるがが難点。
しかし、それ以外は快適な春の雨RUNでした。

生の頭の地肌を雨に濡らすと、昔、子供の頃、髪の毛が抜けるぞね、と注意されよったことを思い出します。雨の中、濡れもって遊んだらイカン、と。当時は、まだ、広島や長崎の原爆投下から20年。10年前にはビキニ環礁の第五福竜丸事件もあったりして、放射能に対する色んな話が飛び交いよりました。
あの頃、雨には放射能が含まれちゅうので、濡れたらいかん、濡れたら髪の毛が抜ける、と、言われておりました。そんなことを思い出してしまうので、テンコスが心もとのうなってきたひまわり太郎くん、生頭で雨の中を走る際は、ちょっとドキドキしてしまうのでありました。
しかし、結構冷たい雨が頭から顔、身体を濡らしていくのは、心地良いですよね。

今日は途中で潮江天満宮さんにお参りしちょいて、右岸をどんどんと遡りました。雨がだんだんと本降りになってきて冷た心地良い。鏡川橋、米田橋、宗安寺橋と通過すると、川は山に囲まれてきます。そして、大河内橋のところで左折し、急坂を駆け上っていくと行川。なめがわ。小学校もある、あの界隈の中心集落、行川。山に囲まれ、真ん中を行川川が流れる集落、行川は、素敵な村。で、行川川を渡り、行川小学校の裏手の狭い道を駆け上りました。途中の分岐を左に折れると、道は、歩くのもしんどいようなすごい急坂。車も通れそうもないような道。雨が降る、マイナスイオンの道。
その急坂を上り詰めた所が、この写真。素晴らしい。

その向こうの分岐を左折して、少し小道を下っていくと、針原。
何度も、このにっこりで書いてきましたが、昔の集落は山の高い所に位置しちゅうケースが多く、集落と集落をつなぐ道は、谷沿いの道ではなく、山の上の道。かなり高所で集落はつながっちゅうがが、徒歩が移動の中心であった時代のありよう。
集落が高所にあるのは、水の利用についての有利さや、斜面のなだらかさなどが理由でしょうか。増水した川の影響を受けることもない。
谷沿いの道は、増水時などに安定しないし、危ない。山の上をつなぐ方が、なだらかで楽チンな道がつくれるがやと思います。集落と集落を行き交うには便利が悪いですし。ので、空の高い所に道が縦横に走ることになったがでしょう。
こんな道をたつくりよりますと、そんな、昔の集落や交通網の成り立ちが何となく理解できた気になりますね〜。いやホント。

針原は、結構高い、山の斜面に切り拓かれた集落。斜面にへばりついちゅう感じ。ですが、こじゃんと素敵な集落です。
その集落の、畑の中に、以前もご紹介した「兼光地蔵」さん。久々に、手を合わせてきました。
源平合戦の序盤戦、源氏方では木曾義仲と呼ばれた源義仲が破竹の勢い見せ、京へ進駐しました。が、戦には強くても内政がちょっと苦手であった義仲は京を追放され、頼朝の差し金で討たれてしもうたのはご承知の通り。
その、木曾義仲の武将に、今井兼光さんという剛の者がおったそうです。僧侶に身をやつして放浪し、いつしか、針原に流れつきました。

そっからの活躍につきましては、2008年4月6日のにっこりをお読み下さい。何故、針原に今井さんという姓の方が多いのか、という理由がわかります。

さて。
今日の雨は、ちょっと冷たい。走るのにはこじゃんと心地良い冷たさですが、セルフで写真を撮ったりと、身体の動きを止めてしまうと、ちょっと冷ようございました。
ので、休憩もなく、針原から旧鏡村役場のところへ駆け下り、温泉施設RIOでお風呂に入り、バスでモンてきました。冷たい雨RUNの後の温泉の心地良さは、経験したヒトでないとわからんでしょうね〜。


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