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新大阪、新幹線〔4021〕2014/04/19

新大阪、新幹線

2014年4月19日(土)晴れてまんがな

そんな訳で今朝は大阪。とは言え、高知へイナんといかんので、とうから新大阪駅にきちょります。新幹線と南風を乗り継いで帰る訳です。
写真は、新大阪駅の、おなじみの千成り瓢簞。この前は、新大阪駅の重要な待ち合わせスポット。

新大阪駅を始めて利用したのは何時の頃でしょうか。東海道新幹線が開業したのは、東京オリンピックの年ですき、1964年。小生3歳。東京と新大阪の間は3時間10分という驚異的な速さでつながりました。小生は、四国の外へ始めて出たのが1970年やったと記憶します。小学校3年生夏休み。もちろん、大阪の万博が目当てで、急行あしずりで高松へ行き、宇高連絡船で宇野へ渡り、急行鷲羽に
乗って大阪へ行ったと思います。
1970年。すごい年でした。
生まれて始めての大都会にショックを受けた少年。完成したばかりの梅田の地下街は、ほとんどSFの世界。阪急三番街という名前で、一番街と二番街はどこにあるのかが気になって気になって。
その地下街を流れる人工の水路には、たくさんの1円玉や10円玉。水が流れるところには神様がいらっしゃるのがニッポンですき、お賽銭なんでしょう。
そこで印象に残っちゅうのは、水のまずさ。
あのカルキ臭は、とてつもなかったです。あの頃から1980年頃にかけての大阪の水道水は、すさまじくカルキ臭かったと思います。

もちろんペットボトルのお茶なんぞはこの世に無く、缶飲料はコーラかファンタくらいしかなかった時代。
水の思い出で言えば甲子園。小生、吹奏楽部でサックスを吹きよりまして、行きました、甲子園。通う学校が甲子園に出場したので。
その時に泊まったのが甲子園球場近くの幼稚園。1回戦に無事勝利し、次は2回戦な訳ですが、当時、高知と大阪はこじゃんと遠かったので、次の試合までの1週間、その幼稚園に泊まりっぱなしでした。寝るのは、幼稚園児のお昼寝布団ですき、足ははみ出たまんまの状態。
それでも、生活は楽しかったのでありますが、どうしてもダメやったのが水道水。全員、あれにやられました。ヤカンで湧かしてお茶にするがですが、それでもこじゃんとカルキ臭いので、もう、ダメ。
仕方ないので近所のお店屋さんでジュースを買うて来る訳です。お茶の飲料なんぞはなく、もちろんミネラルウォーターなんぞある筈もなし。炭酸飲料は、のどの渇きを増幅させるので、ホントにたまらんかった記憶が鮮明に残る、関西の水道水。

いつの間にか、関西の水もおいしくなりました。劇的に。と、言いますか、大阪の水道水がモンドセレクションで賞をとるなど、頑張っております。高度成長時代の、過渡期の味が、あれやったがでしょうね〜。

話は戻りまして新大阪。
万博会場は千里にあったので、地下鉄御堂筋線に乗っていったと思われます。生まれて始めての、夢の乗り物地下鉄。万博会場の動く歩道と同じくらい期待した地下鉄。しかしその地下鉄は、ほとんど地上を走ったので、なんで地下鉄が地上を走るがぢゃ、とガッカリした記憶も。

山陽新幹線で、岡山新大阪間が開通したのが1972年。1975年には博多まで。新幹線に生まれて初めて乗ったのは、いつやったのか。記憶が定かではありません。

御堂筋線の新大阪駅は、東海道新幹線が開通する1ヶ月前、1964年9月に開業しちゅうそうです。当時は、北半分が用地買収の遅れで未開業で、南側に木造仮設のホームがあったと言います。万博のときに、やっと北側半分が完成して今の姿になった、とあります。なるほど。

たまに新幹線を利用する我々としては、何故、大阪駅に乗り入れせんかったろうか、と思います。大阪駅のスペースの問題もあったでしょうけんど、今の東京駅とか上野駅とか品川駅とかを見よったら、なんとかなったろうに、とも思います。
大阪駅に乗り入れるには、一旦カーブして淀川を渡り、梅田を経由して、またまた大きくカーブして淀川を渡る、というコースになる訳で、それが具合悪かったき、とも言われます。
東海道新幹線は、とにかく、東京オリンピックに間に合わせんといかんかった訳で、そんなややこしいルートを通しよったら、それこそ用地買収やらなにやらで間に合わんなる、ということやったかも知れません。

上に書いたように、御堂筋線の開業が1964年9月。新幹線が10月。東京オリンピック開会式は10月10日ですき、無理無理間に合わせた感満載。そんな時代でした。


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