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幼稚園の半地下と地盤〔3973〕2014/03/02

幼稚園の半地下と地盤

2014年3月2日(日)晴れ!

今日は良いお天気。昨日の雨が嘘のよう。昨日から、高知の市内では、「土佐のおきゃく」が始まりました。その中で、昨日今日と、ラララ春まつりが行われよります。昨日は中央公園会場、今日は中央公園と帯屋町公園の2会場での春ラララ。
昨日はあいにくの雨ではございましたが、高知の美味しいものを飲み食いしながら生の音楽を色々と楽しめました。そして今日は、予報に反して晴れました。暑いくらい。日曜日ということで、なかなか賑わいそうな気配です。

しかし小生は、今、会合がございましてお昼から松山。会合が終われば高知へ帰って、ちくと楽しみたいと思いよります。

写真は、今朝の与力町。高知市中心部、鏡川に架かる天神大橋北詰の北東。車がたくさん停まっちゅうのは、聖泉幼稚園。いずみ幼稚園。小生が通うた幼稚園。土佐教会というキリスト教会に付属する幼稚園で、3年間過ごしました。
当時の園舎は、この左手にありました。木造2階建て。左側のトタン屋根の建物、あの頃からあったような気がします。園舎は、1階の教室がちょっと上がった場所にあり、下が半分地下室みたいになっちょりました。そして小さな小さなプールと、小さな砂場が、園舎にくっついてありました。
今の園舎のところには園長先生家族の家、その西側に礼拝堂。塔のある建物が印象的な礼拝堂。

この界隈、幕末に住んでおったのは後藤さん。その後藤家で生まれた象二郎くんが後藤象二郎で、しゅっと近所の乾退助くんと一緒に、ワリコトばっかりしよった少年が、明治維新で活躍することになった訳です。

今日の話題は地盤。
高知市中心部は、かつて、浦戸湾の底でした。これはご承知の通り。中世の頃、徐々に陸地が構成され、ちょっとづつ街が形成されるようになりました。
中洲の大高坂山に武将が本拠を構え、山から東側に、浦戸湾に向かって舌状にせり出した洲の上に、人々が住むようになったのでしょうか。
山内氏が入国して、新たな城下町を創りました。今の追手筋を尾根筋にした、江ノ口川と鏡川に挟まれた土地を平にならし、土地を造成して、水郷の街、高知の城下の基礎をつくったのは17世紀初頭。
その頃、この聖泉幼稚園の界隈の土地も造成されたでありましょうか。鏡川沿いの、河原に近い場所ですき、ほとんど湿地帯やったと思われます。そこに、土を盛り、武士が住む街を構築した山内氏。

鏡川の北岸には水防の土手が築かれ、水丁場が置かれて、川の氾濫と長宗我部残党の反乱に備えたのはご承知の通り。その土手に、朝鮮の役で元親が連行してきた朝鮮の一族郎党を住まわせ、特権を与えて、豆腐をつくることを許しました。唐人町。それについて、こないだ、鏡川土手のメンテナンスをさせる意図もあったのではないか、ということを書きました。妄想ですが。

それにしてもこの界隈。元湿地帯。地盤は、こじゃんと弱いと思われます。この風景を眺めよって、思い出しました。そうか。
園舎の半地下室。あの半地下室。最初は良かったのですが、いつの間にか床があちこち盛り上がったりへっこんだりして、凸凹になってしもうた風景。今考えたら園児には危ない状況やったかも知れません。それっぱあ、床がクネクネになっちょった半地下室。あれは、この土地の地盤の緩さを示しちゅう風景やった訳だ。今になって、突然、そのことに思い当たりました。

目の前の色んな風景。それには、色んな意味があり、色んな理由があるかも知れない。そんなことを意識しながら世の中を見ると、興味深さが倍増しますよね。もっと、すべての事象の意味や理由を考えんといかん、と考えさせてくれた、私が通うた幼稚園。


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