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野市、偉人の足跡〔3698〕2013/05/31

野市、偉人の足跡

2013年5月31日(金)梅雨の晴れ間

青空が見えます。梅雨の晴れ間。爽やかな風が吹く朝。
ここは野市、父養寺。この立て札には、この下を流れる用水「父養寺井」の説明が書いちゃあります。
「野中兼山の遺工のひとつで、神母ノ木に源を発し延長訳6km、灌漑用水面積30ha、水路開さくにあたり、夜間提燈の火を利用して測量したと伝えられている」
そう。ここも野中兼山さんがからんじょります。もう、土佐の国、いたるかしこ、野中兼山さんの足跡があります。

で、以前にも書きましたが、この「父養寺」という地名の由来は、遠く平安時代初期に遡ります。今一度おさらい。

貞観8年(866年)、都で、応天門の変が勃発。
今日はちくとその内容も書きましょう。社会科の教科書で、「伴大納言絵詞」というのを見たことありますよね。あの絵巻に、その事件の内容が詳しゅうに描かれちょります。
大納言伴善男さんが主人公。まあ、前振りはいろいろあるのでありますが省略。貞観8年に、応天門が、放火によって炎上してしまいました。伴大納言さん、左大臣の源信の仕業である、と告発し、処罰直前まで行きましたが、太政大臣藤原良房が介入してきて一転無罪。逆に、伴善男さんが放火した、という証言をする人物が登場して、最終的に犯人にされ、関係者が全部流罪になったという事件。
真相はヤミの中。
ただ、結果として、藤原氏の権力基盤が強固になり、古代からの名族、大伴氏が没落することになったのは間違いない。ので、色んな陰謀説などが囁かれる訳ですな。

もう一家、政治の中心から離脱していった名族がありました。紀家。
伴善男さんと一緒に陰謀を企てた、とされた人物に、その紀家の紀豊城くんが居りました。彼は、安房国へ流罪。そして豊城くんの異母兄、紀夏井さんが、何もしてないのに、連座ということで土佐へ配流。
これにより紀家は、政治の中心から離れ、紀貫之に代表されるような歌の世界などで活躍するようになったというお話。

こうやって見てみると、藤原氏、恐るべし。その栄華を極めていくストーリーは、実に巧妙にして抜け目ない。その一族が、天皇家に寄り添うように、現代にも続いちゅうというのもすごい話でございます。

さて、紀夏井さん。
その能力はマルチで、「書聖」と呼ばれたほどの能書家にして、薬草や囲碁など、すべてがプロの腕前であったようです。もちろん仕事もよくできて、人間性も素晴らしかった、とされます。こんな人物がおったのか、というくらい。
地方勤務は讃岐守、そして肥後守と歴任しましたが、その土地土地で善政を施したので、住民から厚く厚く尊敬され、離任反対運動まで起ったほど。
結局、なんの罪もないのに土佐へ流されましたが、土佐では、この写真の場所のちょっと東の山に住み、薬草の知識で地域に貢献しながら静かに暮らした、とされるのであります。

亡くなった母を供養する母代寺を建て、そして父の為に父養寺を建て、それが今も地名となって残る訳です。その地名と、様々な伝説。
土佐に流された貴人は多いですが、その中でも特級の人物と言えましょう。
なんせ、紀夏井さんが勤務してから20年以上が経過した讃岐に、かの菅原道真さんが赴任しましたが、まだ、夏井さんの声望が高く、なにかと比較されるのでこじゃんと苦労した、という逸話もあるほどですきんね。

ここ、野市には、偉大なる先人の足跡がたくさん残ります。


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