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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

1年10ヶ月4日が経過しました〔3562〕2013/01/15

1年10ヶ月4日が経過しました

2013年1月15日(火)晴れ!

昨日は、高知でも、山間部に雪が降りました。が、関東とか東北とかの太平洋側にもかなり降っちゅうにかありません。東京は、久々の本格的積雪やったみたいですね。馴れん雪にはお気を付けください!

今朝の高知、気温としてはそんなに低うないがですが、風が強いので、かなり冷ように感じます。北西からの冷たい風が強う吹くので、風に晒されると、これは冷やい。ここは、物部川河口、久枝海岸。夜明け前、東の空が明るくなり始めた時間帯。手前の葉っぱの揺れが、風の強さを表現しちょります。冷やい。
先般の大震災から、約1ヶ月おきに、ここ、久枝海岸へやって来て、安政南海地震で津波の被害を受けた、宇佐、真覚寺住職、井上静照さんの日記と一緒にご紹介してきました。

先週の11日で、あの大震災から1年10ヶ月。復興は進みゆうものの、現地はまだまだ大変な状況に変わりはないようです。
真覚寺日記から、安政南海地震津波より1年10ヶ月が経過した時期の記事を見てみます。まずは丁度1年10ヶ月目の日記。いつものように文責ひまわり太郎の、現代土佐弁読み下しです。

安政3年9月5日 曇り
正午くらいから、また雨が降った。晩方から激しゅうに降りだし、夜になってもやまん。明け方、やんだ。地鳴り、鳴動の音が2回。地震はなかった。

この頃も、毎日のように余震は続きますが、この日のように、揺れを感じん日も散見されるようになってきちょります。この3日後の日記。

安政3年9月8日 曇り
この頃、宇佐、極楽寺の広い庭で、毎日剣術の稽古をしゆにかあらん。坊さんも一般の人々も、竹具足を身に付けて戦に出るような趣き。まっこと、念仏修行の道場が修羅闘争の学びをする場に変わってしもうて、末法の習いとは言え、浅ましいことぢゃ。また、うちの宗派の中にも、日夜、槍、剣術の稽古をするモンが居る。自分の檀家さんを他の宗派のお寺さんに引き渡し、たとえ、二人扶持、三人扶持でもかまわんので、士格に取り立ててもらえるなら、早速還俗する、と言いゆう坊さんが有るというき、これまた、論ずるにも足りない。まっこと浅ましい。家の鼠やシロアリみたいなもんで、まっこと哀しい。
夜になって雨が降り出す。夜半から明け方まで大雨。波高く、風も強い。

この日の日記には、黒船がやって来てから騒然とする日本の社会情勢を垣間見ることができます。静照和尚は、僧侶には僧侶のつとめがあり、浅ましいことをするな、という、まっとうな考え方の人物やったことも、これでよくわかります。
そのちょっと後の日記に、他所の、自然災害の話題が書かれちょります。

安政3年9月15日 曇り
風が強い。朝、8時ばあから晴れた。正午頃、揺れた(中の小)。今晩はこじゃんと寒い。蚊帳を取り外した。
今年7月23日、奥州津軽南部の辺りで大波が陸地に漲って、大いに騒いだということぢゃ。また、8月24日には、江戸に大波が打ち寄せ、数百の橋が落ち、江戸市中、海水に2m以上浸かり、人民の死傷者も多いにかあらん。
この話は、今晩、うちのお寺に参詣された人物が、過日、大阪から帰ってきた男から聞いた伝聞である。(この時、江戸、築地の御堂が倒壊して1000人ばかりが犠牲になったという)。

この日記にでてくる、安政3年7月23日の災害は、安政八戸沖地震というもの。ウィキによりますれば、南部藩領では流家93、潰家100、破損238軒とされ、八戸藩領では侍屋敷破損数軒、百姓家潰189、半潰53、流家33、船流失93隻、田畑の損1700石余、死者5人とされる地震。割合、正確に伝わっちょりますね、この時代の伝聞にしては。
安政3年8月24日の災害、これは、台風。「安政の東京湾台風」とも言われるこの台風は、安政3年8月25日〜26日に、江戸を襲うちょります。「近世史略」には、死者が10万人を超えたと書かれちょりますが、真相は定かではあらず。安政江戸地震(安政2年10月2日)で痛めつけられちょった建物が、この台風で倒壊したという例も多いにかありません。高潮の被害も、尋常ではなかったようで、上記の日記の記事が、誇張ではないことがわかります。伝聞ですき、台風襲来日は、一日錯誤があるようです。

築地、西本願寺の御堂は、たしかに、倒壊しちょります。当時の瓦版が、「西本願寺の雲のようにそびえ立つ大御堂は、先の地震では屋根が少し落ちた程度だったが、暴風雨では大音響を発し、ちょうちんをたたんだように潰れた。これを見ようと男女が数珠つなぎ。築地浜では御屋敷が崩れ、500石積みの大船が打ち上げられた。」という内容を、活写しちゅうそうです。1000人犠牲になったかどうかはわかりません。大勢の見物人のことが、間違って伝わったがかも知れません。

しかし、当時としては、かなり正確に情報が伝わっていっちゅうことがわかります。また、大地震、津波後の生活を送りゆう宇佐の住民にとって、他所とはいえ、自然災害のことは、かなり気になっちょったがかも知れません。
そして、この記事は、自然災害は、地震だけではないことも、忘れたらいかんことのひとつであることを教えてくれます。


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