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掩体壕、グラマンの機銃掃射、白菊特攻隊〔3387〕2012/07/24

掩体壕、グラマンの機銃掃射、白菊特攻隊

2012年7月24日(火)晴れ

今日も夏の朝。強烈な日差しと蝉の声。こんな夏らしい朝を迎えると、終戦の頃のことをイメージしてしまいます。太平洋戦争が終結したのは、今から67年前の8月15日。暑い暑い日やったそうです。佐川の斗賀野に疎開しちょった母は、その日正午頃、つまり玉音放送のあった時間、疎開先の下の川で泳ぎよったそうです。あんまし暑いので。お盆というのに。

ここは高知空港の滑走路の西。前浜。大湊小学校のちょっと西。久々に、ここにある掩体壕のお話です。
この、田んぼのまん中にある、周囲の風景と異質な構築物、これが掩体壕。こないだ7月6日の「67年前の初夏、この風景のなかで」に書きましたように、現在の高知空港の場所に海軍の飛行場が完成して航空隊が開設されたのが昭和19年3月15日。白菊という練習機で、予科練卒業生たちが実践配備を前に訓練をする航空隊でした。それが、神風特攻隊に組み入れられていった訳です。

戦争後期、サイパン、そして硫黄島が米軍に陥され、制空権を完全に握られた日本軍。海軍航空隊の飛行場といいますと、完全に攻撃目標。グラマンの大編隊が幾度も攻撃をしかけてきたのは当然のこと。
当時、配備されちょった練習機「白菊」は、その攻撃を避けるため、コンクリート製の格納庫に入れられたりしちょりました。それが掩体壕。当時の飛行場界隈の図面を見てみますと、格納庫、つまり掩体は、整然と並べられたものではなく、クモの巣のようにつくられた誘導路沿いに、バラバラに置かれております。

中型15、小型9、W型17で、合計41の掩体。その内、鉄筋コンクリートでつくられたものが9基。

現在、鉄筋コンクリート製の掩体壕7基が、当時の姿そのままに残されております。平成18年に、南国市史蹟に指定された、貴重な戦争遺跡。のどかな田園風景の中、突如として存在する異質なオブジェ、掩体壕。公民館のところに、子供にもわかるように説明板ができたのはとても素晴らしいことでした。便宜上、1号掩体から7号掩体まで番号が振られちょりまして、この写真の掩体は1号掩体。

それぞれの掩体に、それぞれの特徴がありますが、この1号掩体には、グラマンの機銃掃射の弾痕という戦争の痕跡が残されちょります。約60個の弾痕。

他の掩体壕が概ね南向きにつくられちょったのに対して、この掩体だけは西向き。それが、グラマンの攻撃目標となった一因かも知れません。そんなことを妄想しました。
「白菊特別攻撃隊」という本によりますと、米軍の攻撃は、一旦飛行場の北へまわりこみ、北から南へ急降下しながら機銃掃射をしかけてきた、という証言があります。そうとすれば、南向きの掩体壕は後ろ向いちゅうので飛行機が見えませんが、西向きの場合は飛行機がちょっと見えよったかも知れません。それで、この掩体に、数多くの弾痕が残ることになったという想像。

67年前の夏、ここにまさしく戦争があった、そのことを伝える掩体壕。


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