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新宮馬之助さんの切り開けたものと切り開けんかったもの〔3202〕2012/01/21

新宮馬之助さんの切り開けたものと切り開けんかったもの

2012年1月21日(土)小雨

昨日ご紹介した、山北の安岡家住宅から西へ、野市の方へ2kmばかし戻りますと、右手の山裾に、ご覧の熊野神社さんが鎮座しちょります。この界隈は新宮という地名。ここで生まれた維新の志士、新宮馬之助さんのことは、以前にも何度かご紹介しちょります。

今日は1月21日。龍馬さんたちが仲立ちとなって薩長同盟が成立したがが、諸説ありますが、有力なのは慶応2年(1866年)1月21日。旧暦ではありますけんど。
その、薩長同盟は、京都新町の近衞邸の中にあった小松帯刀の家で、締結されたとされます。その場所に居合わせたのは、西郷隆盛、桂小五郎、龍馬さんら11人。その中に、土佐からの出席者として、新宮馬之助さんの名前が見えます。

馬之助さんは、ここ、香美郡新宮村の農家に、天保7年(1838年)に生まれちょります。そう。農家です。こんまい頃から絵がうまかったので、城下の河田小龍門下に弟子入りしました。親類が城下で焼継屋(陶磁器の補修業)をやりよって、そこに下宿して、小龍さんの所へ通いよったにかありません。で、焼継業修行、ということで土佐を出て、勝海舟の神戸海軍塾に入り、亀山社中、海援隊と、龍馬とともに歩みました。勝海舟門下に入れたのは、河田小龍さんからのツテでしょう。

2km東に、郷士、安岡家がありました。そこの、文助さんの長男次男は土佐勤王党に加盟して奔走しよります。次男の安岡嘉助さんは天保7年生まれ。馬之助さんと同い年。近所で、同じような志を持っちょりましたが、交流はあったでしょうか。馬之助さんは、農家の出で、土佐勤王党には参加しちょりません。そのまんま神戸海軍塾に入り、中央で活躍した人物。

明治になり、新しい軍隊ができました。馬之助さんは、龍馬の遺志を継いで北海道開拓に出かけますが挫折、明治の海軍に入りました。最後は海軍大尉。
明治の初め頃、土佐出身の軍人は、寺田寅彦さんのお父さんは大佐まで、寅彦最初の妻の夏子さんのお父さんは中将まで昇進しちょります。彼らは、維新前は郷士。
新政府になっても、軍隊という組織に、旧来の武士、農民、というヒエラルキーが存在しちょったがかも知れません。馬之助さんはこじゃんと有能で、龍馬からも評価されちょったと言いますき。

この社殿の中に、馬之助さん16歳のときに描いたとされる絵馬が掲げられちょります。2010年10月8日のにっこりでご紹介しちょります。この絵の力によって未来を切り開いた馬之助さん。明治になって、切り開けるものと切り開けんものがあったがでしょうか。


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