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浦戸大橋から見た種崎の風景〔3018〕2011/07/21

浦戸大橋から見た種崎の風景

2011年7月21日(木)台風一過

台風は過ぎ去り、よく晴れました。今日の高知の予想最高気温は35℃。暑うなります。
今 朝は、浦戸大橋の上からの風景。浦戸大橋は、浦戸湾口、浦戸と種崎をつなぐ橋として、1972年に架けられました。今では、浦戸湾の風景に融けこんで、美 しい姿で屹立しちょります。海面からの高さが50m。架橋当時は自殺の名所になってしまい、あわてて、なかなか乗り越えできんようなフェンスがしつらえら れたがはご承知の通り。
写真左手前の方が湾口で、川のように細く、湾が右奥へとつながっていきます。正面対岸が御畳瀬(みませ)。県営渡船が、今でも、こちら岸と御畳瀬を結びます。
永 禄3年(1560年)。当時、土佐の中原は本山氏が押さえ、浦戸湾から西は全部本山氏の勢力圏でした。徐々に力を伸ばしてきた長宗我部国親さんは、この年 5月26日深夜、夜陰に紛れてその海を渡り、長浜城に夜襲をかけ、本山軍の大窪美作守を敗走させます。そして朝倉から出陣してきた本山本軍と決戦を行い、 勝利して、土佐中原覇者への道をスタートさせたのでありました。旧暦の5月26日で、月齢は26。お天気がどうやったか知りませんが、月は、ほとんど明る んじょらん暗い夜でした。
さて、そんな歴史舞台になった風景ですが、この手前の集落、種崎は、史上、何度も津波に洗い流されております。湾の入り 口に突き出した半島、種崎地区は、近くに高台もなく、大変な被害に遭うてきました。昨日ご紹介した谷稜記には、1707年の宝永地震津波での惨状を、つぎ のように記しています。
種崎
亡所 一草一木残ナシ 南ノ海際(キワ)ニ神母(イゲ)ノ小社残ル 誠ニ奇ナリ
溺死七百余人 死骸海渚ニ漂泊シ 行客哀傷ニ堪ズ 且臭腐忍ブベカラズ
敢えて、原文のまま書きました。その凄まじさが伝わってきます。この4月22日にご紹介した避難タワーまで、この集落の先っぽからは500mはあります。もっともっと、避難する場所、もっと高い場所が必要であることは、この橋から眺めると、完全に、わかります。


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