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八幡宮がひろまったわけ〔2875〕2011/02/28

八幡宮がひろまったわけ

2011年2月28日(月)小雨のち曇り

朝は、静かな小雨がぱらつきよりました。あたたかい雨。明日から3月、季節はもう春です。

ここは今朝の上岡八幡宮。参道が雨に濡れて光りよります。この石段は文化14年、つまり1817年にご寄進されちょりますきに、この風景はかなり古くからある風景であることがわかります。石段左右の石垣の石は、この界隈にたくさん転がる物部川の河原石。まん丸こい石が、上手に組み上げられちゅうががわかりますでしょうか。

さて、世の中には八幡様とお稲荷様、多いですよね。数え切れんばああります。どうしてでしょうか。

そう言えば、昨日ご紹介した春野でも、あっから西へ行ったクに六條八幡宮という八幡様が鎮座しちょりました。元々は八幡様ではなかったらしいですが。

あの春野の西分という地区は、旧役場もあり、古い古い遺跡も多い場所で、地元の皆さんに尊崇されてきた神様が居ったはずです。それが、いつの頃からか八幡様に。どうしてでしょうか。

平安後期、土佐では、平家の勢力が強うなりました。しかし、源平の合戦が始まり、最終的には源氏が勝利。この土佐でも、頼朝の弟の希義さんが討たれたりして、源平入り乱れての乱戦となりました。源氏が勝利し、源家についた夜須七郎行宗さんとかが、土佐では勢力を持ちます。

清和天皇に始まる源氏は、八幡宮と強い関係を持ちます。京の南西に、宇佐八幡宮の神様が勧請されて石清水八幡宮になったのは、清和天皇の命によるもので 860年。で、清和源氏は、石清水八幡宮を特別尊崇し、大切にしました。武門の神様として八幡大菩薩が崇め奉られるようになった訳です。

そして、武士の力が強まってくるにつれて、各地のお宮さんが、八幡大菩薩へと衣替えしていったとされます。ですきに、ここ、上岡八幡宮も、元々は、別の神様が祀られちょった古いお宮さんと思われます。石船伝説が残っちょりますきに、物部系、ニギハヤヒ系の神様でしょうか。

鎌倉時代、またはその後、武士が勢力を伸ばす中で、八幡様が勧請されてきたがかも知れません。

ところで、京に勧請された石清水八幡宮は、都の南西。裏鬼門。鬼門に比叡山、裏鬼門に石清水八幡宮、という訳です。高知の城下で言えば、鬼門には、永国寺があって、守りを固めちょりましたし、二代藩主忠義さんの時代に、遠州掛川から勧請してきた掛川神社を薊野に据えました。裏鬼門は、大高坂山に本城を移した長宗我部元親さんが造営した、石立八幡宮。キチンと風水を押さえるがは、当時の常識でしょう。


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