潮江用水と神田川と吉野川の相関関係〔2522〕2010/03/12
2010年3月12日(金)晴れ!
ここは夜明け前の、潮江天満宮の西側。堤防上の道からちょっと入り込んだ場所にある水門。こないだの日曜日、潮江雪太郎さんにご教示頂いた、潮江用水の三叉の水門。神田川から分かれた潮江用水は、筆山麓の変電所の手前から土佐道路をくぐり抜けてここへ流れて来るのでございます。
写真手前から流れる用水は、通常、普段は開いちゅう右手の水門の下を通って潮江天満宮境内の中を通り抜け、天神町方面へと流れて行きよります。が、大雨とかで増水したら、水路が溢れんようにあのゲートを閉じて調整するがやそうです。真夜中でも、ここへヒットリやって来てゲートを閉めんといかんのでヅツナイと申しておられました。
大変な苦労をしゆう訳です。左手の水門は普段閉まっちょります。開くと、ここよりだいぶ低いクを流れゆう水路に水は流れ落ち、その向こうで鏡川に合流します。そこは塩混じりの汽水。もし、そっちの水位が上がって潮江用水へ逆流したりさせん機能も持ち合わせちゅうとのことでした。
この場所、6月くらいになると毎年カニが群れます。すごいことになっちょります。あの水門からこちらへ歩いてくると、モーゼの十戒状態で、カニの絨毯がザザーーっと開いていく景色が見れますきにカニが好きな方は一度おためしください。
さて、神田川、吉野川、用水は、過去どんなになっちょったがやろうかと思うて、手持ちの国土地理院の地図を見てみました。神田川が今の流れになったがはどうやら戦後のこと。戦前の地図では、クネクネと蛇行しまくっちょって、月曜日ご紹介した現取水地点は川ぢゃありませんでした。明治26年の河田小龍さん(リリーフランキーさんがエイ味だしちょりました)が描いた地図では、吉野川は神田川と合流せずに、この写真の場所を通って鏡川へと合流しちょります。が明治40年に国がつくった正確な地図では、クネクネ神田川に流れ込んじょりますきに、小龍さんの絵がちくと間違うちゅうがかも知れません。旅行者用の市街地図ですきに、こんな郊外のことはアバウトになっちゅうがでしょうかね。
今ヒラメキました。そうか。歴史が判ってきました。日曜日にご紹介した場所は神田川から分かれた潮江用水が吉野川の下をくぐり抜けちゅう地点ですが、神田川が今のようにまっすぐに改修されるまでは、あの場所はまぎれもなく神田川やった訳です。で、改修されて、あの部分は吉野川になり、少し下流で神田川に流れ込むようになった為、あの地点から始まっちょった潮江用水は、現神田川の現地点から取水するようになって、わざわざ吉野川の下をくぐらんといかんなったがに違いありません。吉野川だけぢゃあ潮江を潤すのに水量が足りませんきに。
そんな大工事、つまり神田川をまっすぐにするがも含めた大工事やったので、工期が5年もかかっちゅうがですね、たぶん。