浦戸湾十景新田堤と板垣退助邸跡〔1397〕2007/02/11
2007年2月11日(日)晴れ!
暖かい日曜日。おだやかですね。
今日は、午後の時間、家の近所をロイロイしてきました。鏡川大橋を新田に渡り、高知港方面へ浦戸湾沿いの道を行くと、ここ、板垣退助邸跡が右手に現れます。明治維新の大功労者で、自由民権運動の大御所。その活躍については改めて書くまでもないですな。
今年のNHK大河ドラマ「風林火山」で、千葉真一さん演じる甲斐武田家の家老板垣信方さん、実は、板垣退助さんの祖先。信方さんの子孫は山内家の家臣となり、乾という姓で幕末まで土佐藩で過ごしました。
で、明治維新になり、戊辰戦争で、乾家の乾退助さんは東山道の東征軍参謀として大活躍しました。甲斐の国を攻め上る際、甲斐では今でも人気のある板垣信方さんのことを思い出し、自分はその子孫である、として姓を乾から板垣に戻した、と言われちょります。その効果は絶大やったそうですね。
ここにあった家は、山内家の釣御殿やったものを、その東征の功績で山内家に与えられたとのこと。しゅっと前が浦戸湾の海で、自由民権運動で活躍しよった時代、船に乗ってたくさんの実力者がここを訪れた訳ですな。
写真右手に「浦戸湾十景新田堤」と刻まれた碑が立っちょります。同じようなのを衣ケ島とかで見たことがありますね。碑の側面には「投票当選地 高知新聞社 1932」と刻まれちょります。1932年、高知新聞社が、読者に公募して「新浦戸湾十景」を選んだものの一つがここ。確かに、今は堤防がマギっちょって、向かいには弘化台の人工島ができちゅうのでそんなに景色は良うないですが、当時は美しかったことでしょう。「新」というのは、江戸時代にも「浦戸湾十景」があったきですな。昭和になっての景色で、改めて選んだ「新」十景ですが、現代では、埋め立てられたりしてその場所すらもはっきりせんなっちゅう十景もあるそうです。